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「Happiness」ではなく『Well Being』ですよ。

僕は若い頃、少し捻くれたところがありましてね。格式ばったことが好きじゃなかった。

とくに「結婚式」。今日日、恋愛結婚がほとんどなのに「XX家XX家 結婚披露宴」ってあるのは何でだ?と思ってましたね。

そして、ある披露宴に参列したとき「僕は幸せな家庭を築きます!」とかなんとか言っちゃった友だちいてあのさー、高校とき授業バッくれて「ゲーセン」でタバコ吸ってたの誰だったっけ?って心の中で叫んでた(トオル君へ、すまんが君の事だ:笑)。

そうなんですよ。僕は20代の頃から「幸せになります」「幸せにします」って予定調和的な言葉に違和感を感じているんです。

他人(ひと)を「あの人は幸せそうだね」って言うならまだしも、自ら「僕は幸せです」って言っちゃうのも「んー」て感じ(他人のことでも皮肉含みに聞こえます)。

欲求が満たさされて幸せと感じるのか?それを突き詰めて「この上ない幸せ=Happiness」とはどんな状態なんだ?それが人生とどう繋がるのか、僕はいまいちピンと来ない。

たしかに僕だって、今日の暮らしに困っている訳じゃなし、幸せといえばそうですけど、それよりも「生きかた」を考えたいんですよね。残り少なくなった人生をどう生きるか。

今をどうあるか、それを連続させて未来とする。それこそ「生き方だ」との考えに辿り着いた。そして浮かんだ言葉は『Well Being=良き在り方』です。

中学生の時に「Be動詞」の本当の意味は「他に変わりようがない状態」だと教わった。なので人間の存在とは本来そういうことだと考えられる。

人間の存在は各人が唯一無二。だから「Being」とは僕が僕であり続けるしかないこと。そして「Well Being」よくあることとは、「よく生きること」を人生の終わりまで追求することではないかと考えてます。

ちなみに、The Beatlesの名曲「Let it Be」の歌詞も「在り方」へのヒントがありますね。

私が困難に立ち尽くしているとき、
When I find myself in times of trouble
聖母マリアが目の前にあらわれ、
Mother Mary comes to me
賢者の言葉を授けられた。
Speaking words of wisdom
在るがままでいなさい、と。
Let it be

ハスヌマゴローのオリジナル訳

自分が存在することとは、自分が自分であることを受け入れること。自分を許せど「良く在る=良く生きる」ことを日々考え続けること。それこそが、

『Well being』

ではないかと考えるようになりました。

すでにモノやお金は充分に足りてるじゃないですか。これ以上に物欲や金欲を満たし「Happiness」になることよりも、常に自己の内面を見つめながら『良く生きて(Well Being)』心の充足感を得ることですよ。

あ!最後に一つ、とても大事なことをお伝えします。冒頭でご紹介した僕の友達の「トオル君」は「男の子二人」を立派な成人に育てあげ、今は奥様と二人「とても幸せそう」に暮らしてます。彼は「良い生き方」をしてますね。

それではまた来週。

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