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秋の日の感謝|勤労感謝の日の深い意味を探る

今日、11月23日は、日本中が労働の成果を讃え合う「勤労感謝の日」。

皆さんはどのようにこの特別な日を過ごされましたか?
家族や同僚に「お疲れ様」と伝える機会を得た方も多いのではないでしょうか。

しかし、この日がただ単に働き手を讃える日であると思っていませんか?実は、勤労感謝の日の背景には、日本の深い歴史と文化が隠されています。

皆さんが思っている以上に、この日の起源は意外なものかもしれませんよ。

私たちが日常であまり意識しないかもしれない、この特別な日の由来を、農業を営むOKさんがvoicyで語る「日本人なら知っておきたい『勤労感謝の日』の由来」をもとに、今回の記事で深堀りしてみましょう。

勤労感謝の日、その由来

11月23日、勤労感謝の日。
この日は、私たちが一年間頑張ったことをお互いに讃えあう特別な日です。でも、この日がどうやって生まれたか、知っていますか?実は、この祝日、戦後に生まれ変わったんですよ。元々は新嘗祭にいなめさいという名前だったのですが、1948年に今の名前になったのです。

新嘗祭って、どんな祭り?

新嘗祭にいなめさいは、日本の古い歴史にその起源をもつ祭りです。
奈良時代に成立した『続日本紀』という文献にも、すでにその名が見られ、古くから天皇が、その年の収穫を神々にささげる儀式として行われてきました。
この祭りは、豊作を感謝して、国家の繁栄をいのる意味合いが強いものでした。

昔の人は、新嘗祭にいなめさいまで新米を食べないという風習もあったそうです。存在しました。これはこれは、「新しい米は先に神様に」という敬いの気持ちから、先に神々にささげることを重視していました。この風習は、現代ではあまり守られていないものの、今はあまり守られていないけど、日本の農業が大切にしてきた心ですね。

なぜ名前が変わったの?

戦後の日本は、多くの社会的変革を経験しました。
その一環として、GHQの指導の下、天皇制や国家神道の影響をうすめるために、いくつかの祝日の名称が変更されました。
勤労感謝の日もその一つで、新嘗祭にいなめさいの神道的な色あいをうすめ、より民主的な社会に適した祝日として再定義されたのです。

同じような意図で、他にも、天長節(天皇誕生日)が「緑の日」や「昭和の日」に、明治節が「文化の日」に名称変更された例があります。これらの変更は、戦後の新しい日本の姿を表しているのですね。

もうあと少しで、今年の勤労感謝の日が終わってしまいますが、1日の終わりに少し立ち止まって考えてみるといいかもしれません。

この日が教えてくれるのは、一年間の頑張りを互いにたたえ、ありがとうと伝え合うことの大切さです。
私たちの日々の生活に、そんな感謝の気持ちをもっと取り入れてみる。それだけで、毎日がもっと温かく、心地よいものになるかもしれませんね。

勤労感謝の日は、ただの祝日ではなく、人と人とのつながりを深める素敵な機会。そんな思いを胸に、また明日からも一緒にがんばっていきましょう。

今日も、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

みなさんのお役に少しでも立ててれば、幸いです。

では、また明日。

他にも、教育×○○をテーマにいろいろ書いています。

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