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初note 自分の過去を原稿に

きっかけは過去動画を作るという課題を出されたため、文字起こしをすることにしました。

自分の過去を知られるというのは本人からしたらあまり気持ちのいいものではないです。
でも、不思議なことに人間誰かに知ってほしいとどこかで知ってもらいたい欲(承認欲求)があるのでそれも実はあります。

自分は話す苦手だし機会もない話す機会もなかったですが、ちょうどいい機会だったので書いていきたいと思います。
幼年期、学童期(小、中、高、大、専門学校)、社会人の順で

幼年期

子供頃は両親が共働きといいうのもあり、おばあちゃん家によく行っていました。(幼稚園が終わると近かったことや、習字の稽古も近かった)要はおばあちゃんっ子でした。
そんなおばあちゃん家には昔から米屋を営んでおり、中学の頃のは辞めてしまったけれど、働いてる姿も見ていました。(その前は看護師だった)
バイク(スーパーカブ)で灯油などを運んでくるという仕事に対しはしっかりと留守番もこなし、電話対応もしましたがかかってくるのはおばあちゃんの友達からばかり。
いろんな人から慕われていたし、いろんな友達が家に上がっては談笑してくるのは今でも変わらないと思います。
おばあちゃん家にはおばあちゃんの友達が毎週撮り溜めていた大量のVHSのドラえもん通常話と映画があり、毎回訪問するたびに見てました。
大山のぶ代さん時代で毎回のび太が最後やらかしては終わる物語が大半でした。(今のは綺麗すぎると思っているのは内緒)
好きなドラえもん映画は旧日本誕生、夢幻三剣士。あと〜
ドラえもんについてはまた書きたいと思います。
そんなお店をやっていた中で商品なのかどうかはわからないけれど、なぜか冷蔵庫にはほぼ必ず乳性飲料のヨーグルッペが常備されていました。
多分、僕や弟が飲んで喜んだから常に買っていたのだと思います。
訪問すれば冷蔵庫を開けてヨーグルッペを毎回必ず飲んでいました。
おばあちゃん家=ヨーグルッペの感覚です。
今の自分の体の半分以上はヨーグルッペでできていると言っても過言じゃありませんでした。今でもヨーグルッペは懐かしくもあり好きです。

そんな私ですが幼少期はどっちかというと病気がちの子でした。
右耳がその頃から聞こえなかったですし、当時は気管支喘息やら、気胸、腸閉塞(人工肛門造設寸前まで)など色々入退院ばかりを繰り返していました。
病院ではいつもウルトラマンの怪獣紹介みたいなCDを永遠と内容を覚えるぐらい聴いたりしていました。白と薄緑色のカーテンの中で過ごしたのはおぼろげに記憶しています。

幼稚園では密かに好きで初めてバレンタインをくれたしのちゃん、ナメクジみたいだと言って椎茸が嫌いな石橋くん、もう一人ボーちゃんみたいな背の高い子と(名前ごめん!!)よくその三人組で園内で色々遊んでいました。
当時右耳のことは気にしたことはありませんでした。
園では時々、茶道の授業があったのですがその時出てくる茶菓子が印象的で花の形をした蕎麦菓子なのですが今でも好きです。お茶は苦くて美味しくありませんでした。
園ではそれなりに遊んでましたが、園を出たらおばあちゃん家に直行していたので園の外では仲良くした子はいないぐらいのおばあちゃん子でした。

一旦これで締めます。自分の中で印象強い時期でもあるので書いてて懐かしくありました。
こんなオナニーみたいな自分勝手な文章で見たくもないと思いますが、ダラダラ書いていきたいと思います。

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