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LGB「T」にまつわるちょっとした話(9)

性同一性障特例法に関する最高裁決定を受けて、日本の手術要件について海外ニュースとかでも取り上げられ、また人権団体ヒューマンライツウォッチがその問題について報告しています。ところがTwitterなどで意外な事でこれに拒否反応している人達がいるのを見て驚いています。

それは『SRS(性別再判定手術)は断種ではない、なんで違う事に意見するのか理解出来ない』と言ったもの…。

・SRS(性別再判定手術)は断種を含む手術です。

SRSの中には例えばトランス男性の乳房切除なども含まれますので、すべてが断種という訳ではないですが、SRSに伴うトランス女性の睾丸摘出、また、トランス男性の卵巣、子宮の摘出は間違い無く断種の手術です。

断種とは『だんしゅ【断種】手術などにより生殖能力をなくすこと。※大辞林より』という意味で、 トランスジェンダーに対するSRSでは間違い無くそれにあたります。

また、性同一性障害特例法では『四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。』と、断種されている状態であることを明確に定義されています。

・何故『断種』であると指摘されて怒るのか?

この話がでたときに、ゲイで有名な弁護士の方までが「断種」という表現は良くないといった話をしているのを見かけました。また、一部の人は「何故か海外やWHOなどが断種と表現するのです」といった、断種と表現することが理解できないような発言をしているのを見かけました。

多分この人達の理屈としては「トランスジェンダーであるなら、自分の子供が欲しいなんて考える事は無いだろう」といった決めつけがあるのかもしれません。しかし、近年ではトランス男性の妊娠も日本以外では珍しく無くなり、トランスジェンダーであっても望めば子供を授かることが可能であり、それはごく普通のことであるという考えが広まりつつあります。

ましてや、健康な臓器を手術で摘出するということは、本来そんなに軽く考えられるべきものでは無いわけです。

WPATH発行のSOC7(日本語化されてますので、興味のあるかたは是非読んで下さい)では、ホルモンや手術はトランジションに必要とされるアイテムの2つにすぎない。それを選ぶ、選ばないは当事者の自由意志に任せるべきであるむねが詳しく記載されています。

そして、ホルモンや手術を行うために必要なことは、自由意志が確認できる年齢制限と、そして正しいインフォームドコンセントを行うこと、それを理解できることとなっています。

ものすごく重要なことです。ホルモンセラピーにしても、SRSにしてもいろいろな側面があり、当然健康という面においては良いことばかりではありません。

・ガイドラインが作られた背景

すでに何度か書いてますが、ホルモンやSRSを行うためのガイドラインを儲けた背景は、当初は希望者すべてに行っていたホルモンセラピーなどのQOLが著しく悪く初期の学会において担当医師が「正直、ホルモンや手術が当事者のためになっているとは思えない」と報告をしたところから始まっています。
現在ではQOLが上がらなく、自死が多かった理由はトランスジェンダーが置かれた社会的ポジションの問題であって、それはホルモンや手術と直接関係するものでは無いことが判っていますが、当時は状況も判らなかったために一定期間の経過観察を行い、その願望の強さなどを見るという形が作られたわけです。(後付けですが、性同一性障害など疾病はこのガイドラインをベースに作られる形になります。)

・トランスジェンダーが求めたもの

ガイドラインが作られた当初、それまで当事者たちの意志によってホルモンや手術を選べたのがハードルができたことを良く思わなかったのです。さらに、ガイドラインはあくまで形を決めたものであって、中にはその個人のジェンダーアイデンティティが女性であるか、男性であるか調べようという医師も多く登場します。

当初のトランスジェンダーの草の根グループは、そういった医師が使う心理テストなど(大抵はステレオタイプなモノなので)の収拾をはじめ、それらにたいする模範回答集を作成します。ホルモンや手術がしたいのは皆同じで、そのハードルはまどろっこしく、さらに医者から問われる個人的な事は不快でしかなかったという所です。

さらに、もともとICD9まではコード302の性的逸脱としての差別的な病理化であったがために、DSMⅢでゲイリブの影響を受けてトランスセクシャリズムが分離されたものの、医師の扱いが突然変わるわけもなく、初版のガイドラインとなるSOCの理念までが行き届くことも無く(これが行き届いていれば、この時代に日本でもジェンダークリニックが作られていたわけです)トランスジェンダーに対する扱い、医師の見方もバラバラで、当事者からしてみれば苛立ちしか無かったのです。

そもそも、ゲイリブ中で「私達は病気では無い」と訴えたはずなのに、以前にも増して診察で根掘り葉掘り聞かれる、そして、社会に於いての差別が無くなることもなく、精神疾患のラベルが貼られることへの拒否があり、この疾患を無くすることを要求。そして、ホルモンや手術を求める人達には本人の意志に従いそれらが出来るようにしてほしいとの懇願。

また、就職だけでなく、それこそ居住の確保すらが困難であるために、トランスジェンダーに対する差別を止める様にと合わせて訴える様になったわけです。(後者はゲイリブの流れをそのまま引き継いでいるとも言えます。)

・病理のながれで出来たシステムとそれに対する抵抗

トランスジェンダーの運動と時を同じくして、世界中でトランスジェンダーの病理化が強まり、法整備も始まっていきます。疾病という流れから多くの国が性別の変更を可能になっていきます。その法整備の中には、病理の流れから性別変更する者はホルモンと手術を行っているからと、それが条件として法律に記載されていくわけです。
一方でインターネットの時代に入り手術に関する生の情報が手に入るようになったことで「手術をしたくない」といった当事者が多くあらわれて行きます。このころから本格的にトランスジェンダーと手術の関係について、医療の面、人権の面が本格的に話されるようになっていきます。

国連ではSOGIに関する医療に寄らない個々の人権が提唱されるようになり、また、トランス男性の妊娠ドキュメンタリーが発表され、トランスジェンダーであっても子供を持つことができるということも話題になっていきます。

そして、DSM、ICD共に更新の話が持ち上がり当事者団体は「非病理化」や「法律に含まれる手術要件の撤廃」などをより強く訴えるようになります。手術を公的性別の変更ツールではなく、あくまで自身の身体を変えなければ生きていけないという強い欲求を持つ者たちが、よりスムーズにそれをできるようにするため。そして、それをする気が無い人は、しなくても良い状況を作るための活動を行ってきたわけです。

・そして多くの国が手術要件を撤廃

現在世界中で多くの国や地域が手術要件を撤廃しています。

そして、ヒューマンライツウォッチがSRSを「断種」と表現したことに改めて触れます。本来、SRSという手術は簡単なものではなく、20世紀初頭のトランス男性に対する卵巣・子宮摘出から始まり、リリイ・エルベに対する人体実験的な手術を経て、1950年代に基本的なSRSの術式が確立します。

ハリーベンジャミンや、ジョン・マネー、そしてコンプトンズカフェテリアの暴動後のセックスワーカーだったトランスセクシャル(トランスジェンダーと意味は同じ)達のサポートなど、1960年代にトランスジェンダーに対する本格的医療的・社会的サポート体制が始まり、多くのトランスジェンダーがホルモンを使い、そしてSRSを行っていきます。

QOLの悪さから作られたガイドラインSOCでしたが、ゲイリブが進みLGBTの人権が真剣に考えられるようになった21世紀では、その考え方も大きく変化したのです。

最新版のガイドラインにはホルモンと手術について「トランジションのための、2つのアイテム」といった扱いとして書かれています。

トランジションして生きていくからといって、その人達に生殖能力が必要無いということはイコールには成りません。事実、2007年のドキュメンタリー放映以後、世界中のトランス男性が出産し、自身の子供を育てています。

元々手術などにガイドラインが必要なのはQOLを上げるためであり、ホルモンや手術はどういうものなのか、正しくインフォームドコンセントして、それを理解できてなおかつそれを必要とする者たちがすぐにそれをできるようにする。

このインフォームドコンセントには当然、その手術などが「断種」的意味合いを持つ事をキチント説明することが必要で、医療倫理としてはそれが法律に書かれている状況は看過できないわけです。

WHOが手術要件を含まないように勧告したこともそれが理由ですが、手術という行為を否定しているのではなく、法律に含まれることで強制性が発生することを禁止しているのです。

まだ、男性や女性に変身する薬や手術は開発されていません。それだけに、それを選択するという意味をそれを望む人達にはもちろん、社会にもそれはあくまで個人的な問題であって、社会における性の決定などに利用されることが許されない。何があろうが、他者が個人に対して「こっちにくるなら手術してこい!」といったヤクザの様な脅しをかけるのはもっての外だと、すくなくともWHOを始め、まともな倫理観のある国々はこの考えを尊重して法を変更していったわけです。

・とにかくオカシイ事に気がついて欲しい

本来、医療行為とは本人の同意が必要で、その同意には外部からの圧力があってはいけないすごく当たり前なことです。

それが当事者であれ、フォビアを持っているフェミニストであれ、他者に「手術をしろ!」といった脅しを、さも最もらしい言葉で語るのですが、その手術は当人個人の問題であり、今Twitterでどうこうしろと語っている方々には何にも関係ないことです。

GID学会においても今年の総会においてWHOの声明を支持することが承認されています。すくなくとも日本の医療現場としての考えとしても、法律に手術要件が含まれることを是としないことを明確に表明したわけです。(これはすでに2年前の札幌大会の理事会で承認されているもので、ヒューマンライツウォッチの報告にも掲載されています)

人権として倫理として「他者の断種を望む行為は許されない」。当たり前の話です。これはリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)の話でもあり、ほんらいフェミニストであるならとても重要な考え方であり「私達が気にくわないから、トランス女性の権利なんて許せないの!」といった考え方は単なる差別主義者のヘイトスピーチでしかな無いわけです。

前記していますが、すでにトランス男性の妊娠出産は世界中で珍しく無い状況になりつつあり「トランスジェンダーなら子孫を残す権利はいらないだろう!」といった勝手な想像や妄想は人権として間違った考え方という訳です。

なぜ、SRSを断種として扱うのかという話は、この手術がそういう側面を持つからで有り、それを知ってなお個人が選択するというためであり、また、断種という側面があるのだから医療従事者はより慎重にそれを望む者に対してキチント説明を行わなければいけないという意味でもあるわけです。

他者の性器と生殖能力の手術を軽く話しているような人は、人権意識も倫理感覚もまったくない、ヘイトスピーチを垂れ流す差別主義者でしか無いことをご理解ください。

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