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2024.1.1. 日記

ご無沙汰してます。

整理すべき事があるような気がして、筆をとった。
割りと忙しく過ごした昨年だった。文章を通じて静かに自分と向き合うと言うよりは、激しい言葉で社会と対峙するような姿勢の日々だった。時に、ネット上で主張することもあった。
「このままではいけない」と闇雲に叫ぶ若者のように。

だが、重要なのは変化を求める事柄の論点をしっかり示すことで、それはある程度専門分野を勉強しないと見えてこないと痛感した一年だった。自分が突き詰めて考えてきた筈の心の存在だって、他者に伝えるほどは何も分からない。直感では人と通じ合って、何があるがまま、かも分かるような気もしたんだけど。

2024年はあるがままの自然体な生活を、日々、実践しどのような方向であれ、自分で歩けていけたら、と思っている。文章を書くことは人生のお供だね。あるいは主な目的にもなるかも。

まずやるべき事はこの一日をどう過ごすか。
何をやるか、ひとりで読書をするか、人と会い、新たな事を知るか、何をしようか?目的意識を持って事にあたるより、何もかもを目的的にできたら。

ほんの小さな日常のヒトコマでもいい。
カーテンを開け、薄暗い窓の色を眺める。微かな色彩、やがて消え入る街灯の光だ。水を一息に飲み、朝の訪れを身体に告げる。誰かを思う。胸のうちに言葉はある。声を聞き、音楽に生きるような錯覚。

音楽は、いつも僕を助ける手段であり、目的であり、つまるところ世界そのものだった。ちょっと話がずれた。

要はすべては目的的ってこと。
だからつまらない瞬間なんて一つもない。捨て去る音楽なんて一つもない、と言いたいところ。だけど、好きな音楽聞くと聞けない音楽もある、残酷さと共に皆が、僕が生きている。時間の限定性。でも今の時代に、誰かがそれを拾い集めて、僕に素敵な一曲を渡してくれるのを楽しみにする。

心が求めたことをしよう、今日くらいは。
時を過ごし、作業に従事する。生産性のない私的な営みだ。
脳の働きと、身体の自然な動きに従う。
つまり、これが僕の今日だ。

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