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戦争のとき、空襲に遭った話

 聞けるときに聞いておかないとと、オカンに電話で、空襲に遭った話を聞いた。今まで断片だったのでよくわからなかったが、やっと合点がいった。

 空襲に遭ったのは昭和20年2月19日らしい。ただ、19年じゃないかなぁ?とも言う。遭った場所は葛飾区の鎌倉町という場所にあった、石川島造船所の社宅の庭の防空壕だったという。父親(私の祖父)が身体が弱くて戦争には行かなかったが徴用?で、その造船所で働いていたからだそう。

 それで昭和19年2月に葛飾区で空襲あったのかな?とググると、

「昭和 19(1944)年7月にはサイパン島がアメリカ軍の手に落ち、B29による空襲が現実のものになった。葛飾区内には同年11月29日から本格的な空襲が行われるようになった。終戦までに延べ12回の空襲があり、122人が死亡した。」

と、葛飾区のホームページにあるので、やはり母が空襲に遭ったのは昭和20年じゃないかな? ただ、「父親が休みだった」と母が言うので、じゃ、日曜日? と見ると、昭和19年のその日は土曜日。昭和20年は月曜日。どちらも微妙だわ。となると、やはり、戦争の状況からして昭和20年じゃないか。

葛飾区鎌倉の空襲状況を調べると、


こんなページに行きあたり、まさに昭和20年2月19日にこんなことがあった。

1945年2月19日午後東京都葛飾区鎌倉町と高砂町B29(機体番号42−65222、ニックネーム「SUPER WABBIT」、第73航空団499爆撃群所属)が分解して墜落。
 (注)上記作戦の損失機6機のうちの1機
 松戸飛行場を発進した陸軍飛行第53戦隊の山田健治伍長操縦の屠竜の体当たり攻撃による。B29の機体は前部と後部が空中分解し、1キロほど離れて墜落した。機長のMartin E.NICHOLSON中尉など11人全員死亡。葛飾区鎌倉町の畑に墜落した機体の前部で5遺体、葛飾区高砂町の佐藤角次郎方に墜落した機体の後部で6遺体が見つかり、火葬して多摩墓地に埋葬。

もしかしたら、これが関係しているのではないだろうか? 

それで、昭和20年2月19日、まだ6歳間近の母は、生まれて1歳に満たない、肺炎と中耳炎が治ったばかりだった妹・朝子を抱っこして、母親と3人で防空壕に入った。父親はなぜか防空壕には入らず、外に居た。防空壕は社宅用で広くて、ただの穴というより、もっとしっかりしていたそう。とはいえ、子どもの目の「しっかり」だから、どれぐらいかは分からない。

しかし、すぐ横に爆弾?が着弾。ものすごい音がして、そこからは記憶がない。母たちは生き埋めになり、外にいた父親が近所の男性たちといっしょに防空壕を掘り起こして救出。母はひざ下の骨を骨折して、唇は紫色の意識不明のままで、死んだと思われていたが、唇はきれいな色をしていた妹といっしょにリヤカーに乗せられて病院へ。リヤカーに乗る途中で母は意識を取り戻す。母親(私の祖母)は無事だったよう。

病院では治療を受けられて、骨折も分かった。しかし、赤ちゃんの妹は死亡した。母は「肺炎も中耳炎も治ったところだったのに、かわいそうだった」と言う。

そうか、戦争で私の親族は死んでいる。戦争で、私にオバになるはずだった女性は死んでいるのだ。もしや、母も死んでいたら、私は今ここにいない。

その空襲ですっかり恐れをなした母の一家は、栃木県に疎開する。そのときはとにかく身ひとつで電車で移動し、その後、2回にわけて、両親がリヤカーで荷物を葛飾区~栃木まで運んだというから、すごい。その脚力。もしや、途中、車とかに乗せてもらえたのかなぁ? 分からない。

しかし、そこでとにかく疎開したので、ギリギリで3月10日の東京大空襲には遭わないで済んでいたのか!と昨日気づいて、ビックリというか、なんというか。東京大空襲にもし葛飾区にいたら、母一家は死んでいたのではないか? 小さな空襲でもちろん大変な目に遭って妹も亡くなったが、しかし、なんていう。。。(と思ったが、実は葛飾区は被災が意外と少なくて、墨田区から大勢が逃げてきたんだそうで、空襲はすごい狭い地域で集中的に行われたことが分かる。皆殺し作戦だったんだなぁ。。。)。

ところで栃木の本家は意地悪だったそうで、母一家が行くと、豚小屋に住まわされたそうで、もう人間扱いではなかったようだ。子どもの頃の母の写真を見るとギャラギャラに痩せて、いつも泣いてる目をしていた。戦争の中の不幸な子どもだった。

戦争はあってはいけない。子どもがいつも泣いている目をしているなんて、ダメだろう。それだけで、十分にダメだ。もし↑の記事にある空襲でのことなら、私の伯母が死に、体当たり攻撃とかした日本軍の人が死に、アメリカ軍の誰かが死んだんだ、この1回の攻撃と応酬で。戦争は誰のためにするの? 一体戦争は誰のためにするの? もし、戦争じゃなければ、殺し合いはしなかったよね?

戦争は全く理解できない。それに尽きる。

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