④プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

お金をいただくことのこわさ


自分のパフォーマンスに、価値がつく。0円だったものが0円でなくなる。そのことの重大さをないがしろにした瞬間、プロとしての堕落が始まります。

もちろん、さきほどお伝えした初めてのプロとしてのステージの第一回目を経験して、そこからめげることなくお金をもらってドラムを叩き続けて、今の自分があります。

継続する上で、毎回そのような恐ろしさと真っ向から立ち向かっているようでは心が持たないです。重要なのは、その恐ろしさをしっかりと容認し、見つめ、それでいてしっかりとその恐ろしさを自分が支配することなのです。練習はもちろん大事です。しかしこれは練習だけでは体得できないものなのです。

これはおそらくどのような仕事にも言えることですが、プロフェッショナルといわれる人たちは皆、自分の仕事に付きまとう恐ろしさから目を背けていません。
医者、パイロット、運転手、シェフ、大工さん、会社のサラリーマンでさえ。自分が例えば何かミスをして、そうするとそれがどのような影響を自他に及ぼすか、周りに及ぼすのかということを常に意識の根底に置いたうえで、そのうえで堂々と、臆することなく仕事をこなします。だから彼らの周りには常にわずかながら確かな緊張感が漂っています。それが色気になったりしますね。
ミスをしても、その対処をするための余裕、余白を常に残している。
わかりやすい言葉に言い換えれば、常に、ビビっているんです。
「ちゃんと」ビビっている。今、僕だってビビっています。ビビりながらみなさんの前に立っている。偉そうなことを言っている。皆さんが僕に払う対価に見合った、それを上回るなにかを皆さんにきちんと提供できるかどうか。できてるかどうか。
この時間が、みなさんの将来に、人生に、多かれ少なかれ影響を及ぼしうるということの恐ろしさ。今だって感じています。

そのリスクに目を向けず、あまつさえ自分の立場や地位や環境に甘んじて傲慢な立ち振る舞いをしている人に限って、ふと油断したときに取り返しのつかないミスをしたりする。傲慢だから、余白なんて当然持ち合わせていない。結果、慌てたりする。

プロとして、人様-オーディエンスだけではなく、周りの、自分に関わる全ての人にお金を、時間を、信用をいただけるようなパフォーマンスをする。
その上で忘れてはいけないのは、このことの重たさであり、有難みであり、それを全うすべしとする責任感です。

それはもはや、ギャランティをいただいているかどうかではなく、自分の音に責任を持っているかどうかです。
ノーギャラで演奏をしていても、「この人の音には隅々まで神経がいきわたっている!」と感じさせられる人もいれば、ギャラをいただいているのに、まったく芯のないだらしない音を出す人も、山ほど見てきました。

そして、この「パフォーマンスに責任を持つ」というのは、自動的に、オートマティックにできるようになることではないのです。これまでゆるゆるとプレイしてきた人が、さあ次のステージからギャラがもらえますよ、ということのみをきっかけに、引き締まったパフォーマンスがができるわけではないのです。
パフォーマンスは身体を使います。いくら頭が、意識が切り替わっていると言い張っても、肝心の身体の使い方がわからないのですから当然です。

それではどうすればいいか?

皆さんが自分のパフォーマンスに対価をいただけるようになるのは、いつになるでしょうか。その日までに、自分を磨いておくのです。今、この時から、その意識を持てばいい。それだけです。

プロの定義が曖昧であるからこそ、様々なプロとしての在り方が容認されいるこの世界だからこそ、そのすべてに共通する大事な根幹の部分の要素。
そこを必ず忘れないことです。
「恐ろしさ」をしっかりと見つめることを。

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