②プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

「職業」と、「生き方」

もう一つ(に限ったことではないですが)、プロの定義が曖昧な業界があります。

声優業界です。

声優、大塚明夫の著書に『声優魂』というものがあります。大好きな人です。メタルギアソリッドというゲームのスネーク役の人ですね。
そこに書かれてある文章を引用したいと思います。

「声優になりたい」
 そう思うことは自由です。しかし、「声優になる」ことを「職業の選択」のようには思わない方がいい。この道を選ぶということは、「医者になる」「パティシエになる」「バンダイの社員になる」なんて道とは根本的に違います。少なくとも、私はそう考えています。
 よく考えてみてください。この世界には、「声優」という身分を保証するものは何もありません。資格やら免許があるわけでもない。人様に言えるのはせいぜい、「□□という声優プロダクションに所属しています」「××という作品の○○というキャラクターの声を担当しました」くらい。それだって、誰にでも通じる自己紹介にはなり得ません。社会的に見れば極めて頼りない、むしろ存在しないに等しい肩書きなのです。
 そもそも、人は何をもって「声優になった」と言えるのでしょう。声優プロダクションに所属できたら?「いらっしゃいませ」の一言の台詞でも、作品の中で発することが出来たら立派に「声優」なのでしょうか。(中略)
「声優になる」というのは職業の選択ではありません。
「生き方」の選択なのです。
 充分な収入が得られるかわからない。成功するかどうかなんてもっとわからない。下手したら、幸せにすらなれないかもしれない……。
 そんな中で持つべきは、「声優という職業につけるよう頑張ろう」という夢やら意気込みやらではありません。自分は声優として、役者として生きるのだ、という覚悟です。

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大事なところだけ繰り返します。
「声優とは職業ではなく、生き方」。同じことが、我々の場合に置き換えても言えます。
すなわち、「アーティストとは、職業ではなく、生き方」なのです。「自分がアーティストなのか否か」そして「プロなのか否か」というのは、なにか普遍的な定義のようなものによって決められるのではない、ということです。

そのような、ある意味で各々に判断や定義を委ねられているこの世界で、それでも「プロ」として生きるためには、何が必要なのでしょうか。
それとも、自分が自分をプロと認めてしまえば、それでいいのでしょうか。皆さんは、それで満足ですか?おそらく違うと思います。

何が必要か。まあ、ここでは語りきれないほどたくさんのものが必要なのですが、まずは自分の体験から皆さんにお話しできることを。

初めての「仕事」

今から6年前、忘れもしない2012年の12月。地元の先輩のバンドのライブでドラムを叩いたのが人生で初めての「仕事」でした。
それまでも無給、いわゆる「ノーギャラ」で同じバンドや他のバンドのサポートをしていたことがあったのですが、ちょうどその時期が、大学を卒業したこともあり自分の中で「サポートでお金をもらおう!」と決意したタイミングで、その旨を伝えたところ「わかった!じゃあ、お願いするわ!」といって、自分に「仕事」をくださったのでした。

あの日のことは、今になっても忘れることはできないし、これからも忘れることはないと思います。

スタジオリハーサル、ステージリハーサルまでは滞りなく終わりました。メンバーとのコミュニケーションも、普段と何ら変わりません。特別広いライブハウスというわけでも、ビッグイベントというわけでもない。対バンだってそんな、ビッグネームが勢ぞろいというわけでもない。
いざ本番が始まり、入場SEが鳴り、ステージに上がって椅子に座った途端、異変が起きました。

何度も練習をしてきたはずの曲なのに、メンバーの音の聴こえ方、スティックの感触、ペダルの感触が、全く違うのです。
体に染み付いているはずの「正解」が、途端にぼやけて見えなくなる。スティックの握り方さえ、これで正しいのかどうかわからなくなる。力が抜けすぎているのか、それとも入りすぎているのか、自分の体が自分のものでないような感覚に襲われる。

いつもやってしまうような、小さなひとつのミスが、かつてないほどに自分を焦らせ、気を動転させる。

困惑し、恐怖しました。
そしてしばらくしてすぐ、この異変の原因は、未知の責任感からくる重圧であるとわかりました。

当時のギャランティは1ステージ3000円。自分で設定した金額です。4ピースのバンドだったので、自分以外の正規メンバーから一人1000円ずつというような格好です。
それが安いのか高いのかは、問題ではありません。そうではなく、「0円ではない」ということが何より重要で、重大だったのでした。

3000円という対価を軽んじていたわけではありません。この日が、自分の、対価をいただいた上で演奏をする、プロとして大いなるはじめの一歩です。その記念すべき一歩は、自分が思っていたほど輝かしいものではなかった。むしろ、得体のしれない黒いどろどろが、自分の足に、腕に、心に、まとわりついてきたのでした。

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