⑤プロのアーティストとは何か~大塚明夫に学ぶプロフェッショナル~

見られている

もうひとつ、窮屈という言葉について。

色々な人が、自分を見ています。みなさんを見ています。
いや、矛盾したことを言うようですが、今のみなさんは、誰も見ていません。今みなさんが、例えば現場の関係者にどう見られているかお教えしますね。つまり、「若い子たち」の中の一人として見られているということです。ドラマや映画で言うところのエキストラ、つまり「通行人A」とか「店員B」とか、そんな感じ。

しかし、現場入りしてはっきりとした声で、
「おはようございます!○○です!よろしくお願いします!」と元気よく挨拶をすれば。
ステージスタッフさんにリハーサルの時に「よろしくお願いします」と声掛けをすれば。
終演後、「ありがとうございました」と声をかければ。

現場は皆さんを「見て」くれます。
「若手のうちの一人」から、「こいつ」「この人」「この子」へと変貌する瞬間。
杭が出る瞬間。自分という新たなカテゴリが生まれる瞬間です。

居酒屋やスーパーのアルバイトでさえ、出勤してきたときは店長や社員さんや先輩に「おはようございます」と誰もが言います。なのに、場所がいざライブハウスとなると、それを言わなくなってしまうのです。不思議ですよね。なのに、場所がいざライブハウスとなると、それを言わなくなってしまうのです。そして皮肉なことに、そういった側面こそ、さまざまなジャンルに共通して大切な、そして簡単な1アクションなのです。

人に憧れてもらう。
人に魅力的だと思われる。
そうして人からお金を頂戴する。

そのためにできることは山ほどあります。

常に、自分が周りにどう映っているかを意識する。

本番中、楽屋でずっとスマホを触っている人は共演者にどう映るか。
ろくに挨拶をしてこない出演者は、現場から見て、どうなのか。
すべて、その延長線上の話なのです。

正直に言って、そのような演者が大半を占めているというのが現状なのです。では、それを逆手にとって、その中で抜きん出ればいい。

しかし、「見られる」のはそこだけではありません。
挨拶だけ元気よくしてればプロになれるわけじゃない。
服装、髪型、現場、ひいては日常での立ち振る舞い、SNSでの発言。それらすべてが見られています。

窮屈ですよね。
しかし、トップアーティストたちは、現在も、今この時もそうした日々を送っているのです。
金属をやすりで削るときらきらと粉が舞うでしょう?「ゲイノウジン」とはつまり、自分の生活を、命を削って、その輝きを身に纏っている人たちなのです。

注目されるということは、窮屈なこと。
もしも電車の席の隣に座っているリーマンとOLが、ばりっばりの不倫カップルだったとしても、別にそれがどうしたって話ですよね。
でも、有名人がそういう行為をしたらどうでしょうか。たちまちワイドショーのネタになってしまうんです。「番組」がひとつできあがってしまう。

我々が行こうとしているのはそういう世界なんです。
別に、幸い不倫がニュースになるくらい売れなくてもアーティスト活動だけで生計を立てることは可能ですから、まあここまでびくびくする必要はないかもしれない。
けれど、うーん、例えばハコで酒飲んで暴れて器物損壊とか。未成年に手を出してどうこうとか。そういう行いというのは、「世間」というワールドワイドなネットワークまではいかずとも、その「界隈」というローカルネットワークの中ではたちまち広まります。
そうすると、信用はなくなり、やがて仕事がなくなる。

企業の信用失墜!とか、よく聞きますよね。ビジネスマンの話です。一見私たちには関係のないことかもしれません。
けれど、私たちアーティストだって、実はビジネスマンなんです。
我々アーティスト業界の仕事を総称としてなんと言うか知ってますか?「ショウ・ビジネス」と言います。

それでも「プロは楽しい」!

すっかり皆さんの表情が暗くなってますね。
こいつは、俺の、わたしの輝かしい夢を、将来への道を、ぶち壊そうと思ってるのか?と思われてるかもしれません。
もしくは同業者が増えると自分の仕事が減るから、自分たちをその道に行かせないようにしてるんじゃないかとか。
大塚明夫は同著の中でこうも書いています。

 私がこんな本を書いているのは、仕事上のライバルが増えるのが嫌だから―ではもちろんありません。ライバルならば、むしろ増えてくれたらと心から思います。こんなすごい奴が出てきてしまったら、俺の仕事なんてもうないんじゃないか……そんな脅威を一度くらいは味わってみたいものです。
 傲慢な言い方に聞こえたら恐縮ですが、この三十年、そういう意味でヒヤリとさせられたことは一度もないのです。むしろ、こういう子ばかりならまだ俺の仕事は減らないな、と思うことの方が多いかもしれません。

僕はみなさんに、遠回しにプロなんてやめとけよなんてことを言うつもりは微塵もありません。NESTの講師として、そんなこと考えてたらヤバくないですか?速攻クビですよ。そうじゃない。むしろプロになってほしい。こっち側にきてほしい。すごい楽しいから。いつか僕と同じステージで対等な立場でオーディエンスの前に立ちたい。僕は座ってるけど。

なんでこんな話をしたか。我々NESTが掲げているスローガンがあります。
「敢えて夢と現実をぶつけて、その衝撃に負けない強度を養う」。
ホームページ書いてるからまた見といてくださいね。まさに今回お伝えしたことが、この、自己の鍛錬をするうえでなによりも大事なことだと、僕は考えています。

こういった「恐ろしさ」をしっかりと心の土台に置いて、そのうえで、皆さんが信じた道を歩けばいいのです。

私たち講師がレッスンでみなさんと触れ合う中で育てることのできる部分というのは、あくまでたとえばスキルのような専門的な技術表層的なところでしかないかもしれません。というのは、あくまでたとえばスキルのような専門的な技術―しかし今回、このような場で、ジャンルや表現手段の垣根を超えた深層の部分、
根幹の部分についてお伝えすることができたのは、根幹の部分についてお伝えすることができたのは、根幹の部分についてお伝えすることができたのは、
僕にとっても非常に有意義な機会だったと思っています。

僕はNEST講師の中でも一番の若手で、一番のルーキーだと思っています。みなさんの先生にも、お伝えしたのよりもっと重くて、ディープなエピソードはあると思いますから、みなさんの先生にも、こういったエピソードはあると思いますから、また何かの機会に聞いてみてもいいかもしれないですね。

深層の部分だからこそ、抽象的で漠然とした話ばかりだったとは思いますが、何か少しでも、今後のみなさんのアーティスト活動に生かしてもらえればと思っています。

本日は、ありがとうございました。

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