消費されない生活のために

移住事業に携わる端っことして、ときどき煮詰まったり、ぎゃふんと思ったりしながら見えてきたものがある。「生活」は目的なのか、手段なのか。ひと昔前なら、「仕事」がその議論に値していたように思う。社会は確実に次のステップへ進み始めている。場所に縛られない暮らし、いわゆる多拠点生活や移動生活のような多様化したライフスタイルが、少しずつ浸透しつつある。そこで再度、その土地で暮らす意味を考えたい。気に入った土地で、好きな人や物たちに囲まれて、この手でありありと分かる心地いい生活。これを淡々と積み上げ、繰り返していく日々。わたしはいつまでも、わたしの暮らしを噛み締めて、手元に寄せて実感していたい。豊かな生活とは、自分の価値観で取り扱うすべての集まりのように思う。食材ひとつ、器ひとつ、日用品ひとつ、そのどれをとっても、わたしが自信を持って「好きだ」と、そして「心地いい」と言えるものに囲まれて、大切に愛でながら過ごしていたい。たったそれだけがわたしに残されたこだわりであり、唯一の生活指標になっている。物を持たずに生活するミニマルライフやシンプルライフにおいても、わたしなりの解釈がある。自身にとって好きではないもの、心地いいと感じないものを極力減らして、持たずにいる行為がわたしにとってのミニマルであり、シンプル。だからテレビは持たないけど、車は持っているのはこういった理由から。わたしにとって自家用車はこだわって選んで使い続けている(そしてこれからも使い続けるであろう)お気に入りの道具。そんなふうにしていつまでも、自分の生活と根気よく真正面から向き合っていたい。だから決して、コストパフォーマンスや有益度によって、生活が計られるようなことはない。生活を体験として消費する人があまりにも多い最近の流れにわたしは戸惑いを隠せない。そもそもわたしたちこれまでずっと、無駄だったのに。無駄はいつまでも消費されない。そんな無駄だらけの消費されない生活を、いつまでもずっと、続けていたい。

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