適当ができない

気怠い雨がよく、降る。きらいじゃない。初台にある本の読める店fuzkueがメールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」をついに始めたらしい。購読するか、の悩みが再燃。メールマガジンなのにラジオ。文字なのに声。元来、文字とは声のことであったか。年末年始の旅行でお世話になったひとへ蜜柑を贈ろうと思ったのに、納得のいく蜜柑が見つからない。貰えるのは自分ではないのに、あたかも自分のために買うように、質や産地などにまでこだわってしまうから、いつも、だれかになにかを贈るときに、とても時間がかかってしまう。そもそも、一周年の記念や、本屋開業の記念に、と贈りものをいただいて、その御礼もまだできていない(本来、東北の美酒を贈るつもりだったのに、探していたものは最後まで見つからなかった)。こんなふうにして大抵、時間が経ってしまって、億劫になってしまって、半ば投げやりになってしまって、これでは本末転倒なので、どうにかする。本当に、これは、どうにかしなければならない眼前にある問題なのです。こだわるからいけないのは、わかっているのに、こだわってしまう。御礼が山積している。恩はいつでも、貰いっ放し。それから、他の宿のフライヤー(チラシ的なもの)もまた山積してきたから、それもどうにかしないといけない。わたしだったら、こんなふうに置かれたいとか、またも思案して、とりあえず適当に置いときゃいいものを、イチイチ、本当に、イチイチこだわるから、時間がかかる。腰の重さはこだわりの強さに比例すると思う。こんなところでも適当ができない。完璧主義は鬱病のもとらしい。ともすると、あれ?わたしって完璧主義なのかしらん。と少し怖くなって、インターネットにころがっている完璧主義度診断なるものを試しにやってみたら、【完璧主義者度35%あえて完璧より「ほどほど」を目指す!】と出て、笑った。全然完璧主義じゃない。続く診断結果は「あなたはなんでも"ほどほど"がいいと思っている"ほどほど人間"のようです。がんばれば完璧に近づくことができるのはわかっていますが、そこまでする必要性はないと感じています。普通より上程度を目指してがんばっていくタイプです」。まあ、診断する前から完璧主義ではないだろうなとは思っていたから、ある意味ホッとした。お腹減ったから今日はここまで。

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