【耳をすます1】価値を再考する前に

今までかなり守備的なスタンスを取ってきたと思う。それはわたしの小さな課題でもあった「ファン(共感者であり支援者)を増やす」という行為。わたしの価値観に基づいてつくった「ハトムギソウ」という空間に対するファンを増やす。そのためにこれまで「(異なる)色がつく」からと、さまざまな誘いを断ってきたし、基本的に断る姿勢を貫いてきた。だけど、ハトムギソウを守り「ファン(共感者であり支援者)を増やす」行為はある意味で排他的ではなかったか。さんざっぱらこれまでにわたしの思いはnoteなどのSNSを通じて小言のようにぼそぼそと呟いてきた。雄弁にそして時には詭弁に「声をあげる」者が勝者になる時代に嫌気が指し、わたしは「声をあげない」者になった。わたしはわたしの暮らしをこつこつ、もくもく、たんたんと、続けていくことに意義があると考えたから。でも、生きづらさは変わらなかった。常にマイノリティに身を置くことになるから。呟いたことや貫いたスタンスは、ファン(共感者であり支援者)には伝わり、ファンでないひとには理解されなかった。おそらく理由は、そこにロジックが欠落していたから。「心地いい生活」に集約されてしまったロジックを、理解してもらうための努力を怠っていたように思う。わたしが「心地いい生活」をわたしにたったひとつ残された指標とする理由を、もっと突き詰めて、ロジカルに話す必要があると思うようになった。次のステップは「仲間(純粋な共感者)を増やす」。そのために、わたしがこれまでにずっと言い続けている「心地いい生活」を紐解き、「心地いい」と判断するその価値を再考したいと思う。前置き的にひとまずここでハッキリと言えるのはわたしにとっての価値は「お金」ではないということ。だけど、コストパフォーマンス的な金銭感覚を全く持っていないか、と問われるとそういうわけでもない。ただ、わたし自身、コストパフォーマンス的な金銭感覚は極力減らしていきたいし、できればこの先のそう遠くない未来ではなくなっていてほしいと思っている。そんな未来を実現させるための、価値の再考。みなさんにとっての「価値」とはなんですか。

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