【耳をすます2】持続可能性とグローカルな生きかた

最近の読みものの中に「ストーリー消費時代」とあった。たしかに、消費は「コスト」と「ストーリー」の二極化しているように思う。未来があるのはどちらなのか。先の【耳をすます1】では価値を再考することについて問うた。その続き。わたしの指標は「心地いい生活」の追求にある。その「心地いい生活」は、「粋」もしくは「無駄」と「持続可能性」の二段階に区分することができる。ピラミッドの頂は「心地いい生活」。その次に「粋」もしくは「無駄」かどうか、そして「持続可能」かどうか。つまり、土台は「持続可能性」にあり、その上で「粋」もしくは「無駄」であることの先に「心地いい生活」は実現される。ファーストステップ。「持続可能性」とは。

持続可能性(sustainability):
人間活動、特に文明の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できるかどうかを表す概念であり、エコロジー、経済、政治、文化の4つの分野を含むものとされる。(wikipediaより引用)

わたしはこの「持続可能性」の判断指標をミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、国連サミットで採択された「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のための国際目標『SDGs(持続可能な開発目標)』https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/about_sdgs_summary.pdfに置いている。だから、貧富の差が拡大する資本主義経済には否定的だし、いずれ枯渇する上に環境に負荷がかかる石油製品はできる限り使わないようにしている(例えば、レジ袋や化学繊維、合成洗剤など)。特にプラスチック製品は自然に分解されないので、自然に住まう生き物にとっての深刻な脅威。と、ここまで書いてみると「イヤイヤ、どんだけ真面目なヤツ」と言われそうな気もしないでもないけど、たとえ話をひとつ。

今ここにミネラルウォーターがあります(わかりやすいところでVolvicやevianなどのフレンチアルプスからやってくる水としましょう)。「水」そのものの原価は10%程度で、その他残り90%は容器代や輸送費、マージン等と言われています。輸出入のための輸送費は品物の大体2/3程度と言われているので、60~70%は運ぶためだけに使われているお金です。つまり、わたしたちは「水」そのものより、その他の環境に負荷をかけるものにお金を支払っているわけです。

このたとえ話はどの食べものにも当てはまる。レモンなんかは国産物と輸入物の価格が割と拮抗しやすいので、わかりやすい。レモン1つ100円だとしたら、産地が自分の居住地に近ければ近いほど輸送代は減り、「レモン」そのもの(=生産者)に支払われる金額は増える。逆に、遠いほど輸送代はかさみ、「レモン」そのもの(=生産者)に支払われる金額は減る。ここに農薬がプラスされたら(手間は省けるかもしれないけど)、農薬を使った分だけ生産者が純粋に得る金額はまた減る。それに、農薬は人体だけでなく自然にも有害だから、使わないに越したことはない。だからわたしはより近くで作られたもの(地産物)を、よりマージンの少ない場所から(生産者から直接や、産地直売所など)、より安全な形(無農薬や低農薬)で買いたい。これがわたしなりの持続可能な「買い物という消費行動」の根底。つまり、グローバルな視点を持つ(地球の持続可能性を模索する)ということはローカルに視点を戻す(地域で生活行動する)ということでもある。「グローカル」とは「グローバル」と「ローカル」を掛け合わせた言葉で、地球規模で考え、地域規模で行動をすることの意。持続可能性とは「グローカル」の一言に集約されていると思う。

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