新年の挨拶にかえて

新年明けましておめでとう。おめでとう。なんだかくすぐったいような。おめでとうとはだれにかける言葉なのか。よくわからない。あっという間に春の七草も鬼火焚きも終わって、お正月気分とはアッサリさようなら。そして十日恵比寿祭もおわった。次は廿日恵比寿で、その次は節分。狙撃手の的のように、ビュンビュン次から次へと的確に飛んでくる、イベント。でも存外嫌いじゃない。街全体が浮つくような、足元を掬われそうな催しはあまり得意ではないけれど、古来からある季節に沿った年中行事は大切にしていたい。季節に逆らわずに過ごすことは、心地よく暮らすために必要なことのように思う。だからこそ、季節問わず同じように暮らすことは変だと思うし、同じようにはたらくことも、等しくおかしなことだと思う。今年はあまり無理をせずに、身体に負荷をかけずに、呑気にのほほんと一年を過ごしていきたい。昨年は自分でも、ちょっと頑張りすぎたと思う。それで分かったのは、だれかに認めてもらうために(もしくは褒めてもらうために)、やっていても仕方がないということ。一介の個人事業主として感じたのは、はたらくペースをつくるのも、ときには休ませてあげるのも、そして褒めてあげるのも、すべては自分だということ。自分が納得できれば、それでいい。どこかで「全然はたらいてない」と陰口を言われていたとしても、気にしないこと。だって、はたらいているかどうかを判断するのはわたしだから。気づかないあいだに、我慢していることがたくさんあって、結果的に体調を崩してしまった。それから、何もしたくなくなった。生活が面倒になった。生きることが億劫になった。そこで湧いた一つの疑問。「会社員時代と何が変わったのか?」答えは何も変わっていない。変わったフリして、実際は何も変わっていなかった。だって、わたしの心の持ちようが変わっていないから。頑張って、頑張りすぎて、潰れて、這い上がって、また、頑張って、の繰り返し。適当ができない。適当がわからない。少し、完璧主義なきらいがあるから。それを今年はやめたい。おおらかに、2019。平成最後の年に、わたしは、わたしの生まれ育った世代にふさわしい、本当のゆとりになりたい。ゆとりではないゆとり世代がここにいます。今年の目標は「ゆとりを手に入れる」。

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