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怒りの原因は相手のせいではなく【思い通りにしようとしてる自分が原因】って気づいたところから人生本番

始めに

皆さんは日頃から他人の言動にイライラしたり、怒ったりすることはありますか?

全くない、という神様仏様のような方はここで読むのを辞めてもらって大丈夫です(笑)
(たぶんそんな方は読もうとこの記事を開いてもないような気もしますが)

そもそも、
なぜこんな質問を最初に投げかけたのか?
について少し触れたいと思います。

「人の悩みの大半は人間関係によるもの」


既に聞きなじみがある方も多いと思いますが、
ここで一つ紹介したい言葉があります。
「人の悩みの9割は人間関係によるものだ」というもの。
これはアドラ心理学の中で言われているものです。
ベストセラーとなった「嫌われる勇気」(私は何度も読み返しました)の中にも

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。

「すべての悩みは対人関係の悩みである」とアドラーは言った。|ダイアモンドオンライン

という一節があったりします。

_______________

たしかに、
人生において他者との関わりは切っても切り離せないものになっていますし、
だからこそ、
悩みの種の大半は人間関係だ、
というのも納得いく気もします。

であれば、
できるだけイライラしたり怒ったりせず、
平和に暮らせたろうが幸せであり、
イライラしたくてしてる人はいないと思います。

では、
なぜしたくもないのに
イライラしたり怒ったりしてしまうのでしょうか?


そう言う私はどうなのか?
と聞かれると、
現在はほとんど怒ったりイライラすることはなくなりました。

考え方を切り替えたから自然とそうなったのであり、ここで私が人として偉いとかっていうことを伝えたいのではない、ということだけ先にお伝えします。

前置きが長くなりましたが、
本題に入っていきたいと思います。

イライラしている裏側で何が起きているのか?

ずばり結論を先にお伝えすると、

一人一人の中にある、

「こうあらねばならない」
「こうするのが当たり前」
という考えに対して

他人がそぐわない(異なる)言動をすることで
イライラや怒り、不安等が発生しているのです。

例えば、
「朝会った時に挨拶をするものである」

「親切にしてもらったらお礼を言う(感謝する)のが当たり前だ」

「時間に遅れる時は先に連絡を入れるべきである」
のような当たり前があったとします。
(生まれ育った環境や性格思想によっても異なってくる)

挨拶するのが当たり前という人が、
挨拶をしない人を目の前にして、
「なんて非常識なやつなんだ!」とイライラしたり、

差し入れを持ってきたのに、
お礼の一言もないことにイライラしたり、

無断で平気な顔をして20分遅れてきたことに対して、怒ってしまったり。

自分の中の「こうすべき」を他人が守らなかったことに対する反応がイライラとして現れる。

自分の常識に相手を当てはめて、
コントロールしよう(相手もそうすべきだ)と思うから、
その通りにならないとイライラ
してしまう
というわけです。


視点を移す意味で、対象を変えてみましょう。

では、赤ちゃんが
挨拶をしないと、怒りますか?
遅刻をしたことに、怒りますか?
お礼を言わないことに、怒りますか?

怒りませんよね(笑)

いやいや、
極端すぎるでしょ!
そりゃそうでしょ!
という声が想像できますが、

つまり何を感じて欲しかったかというと、
期待していない(できると思っていない)と
イライラも怒ることもないってこと。

でも、
いつしか自分が当たり前にやってることや、
自分の中でこうすべき、
という価値観に人を重ねて、
知らず知らずのうちにコントロールしようとしているから、
「裏切られた!」「非常識だ」というように
自分が辛くなっているんですね。

自分は変えられるが他人は変えられない

これを初めて認識したのは、
嫌われる勇気にを読んで
「課題の分離」を知った時。

そして、
この文章を書こうと思ったきっかけでもあるのですが、
最近知った「ゲシュタルトの祈り」にも、
同じニュアンスのことが言われていました。

「ゲシュタルトの祈り」とは、
ドイツの心理学者フレデリック・S・パールズ(1893~1970年)がローラ夫人と共に創設した「ゲシュタルト療法」で使われる「祈り」です。
「ゲシュタルトの祈り」(原文はドイツ語ですが)は、こうです。

「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」

“I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.”

https://www.joicfp.or.jp/jpn/2014/04/04/31778/

少し冷たいと感じた人もいそうですが、

結論、縁があれば道が重なる。
だから
他人に応えようと生きるのではなくまず、
自分のために生きる。
自分のために生きて交わる関係であれば、
素晴らしい。

これくらいの感覚でいいってことです。


自分が不快になったりイライラしてまで
他人に執着する必要はないということ。

逆に言うと、
自分が誰かを不快にしている可能性だってある。
でもその可能性に常にビクビクしながら生きるのも苦しいわけで、

他人の期待に応えるために生きる必要もないし、
自分の期待に他人が応えて欲しいと思う必要もないということです。

ただ、
相手に思いやりを持つとか
相手の背景や状況を慮ることを捨てようとかっていう話ではないです。

怒りを感じることもあっていいと思います。

でもその状況が続くのは辛いので、
考え方を変えるための一つのアイデアとして捉えてもらえたらと思います。

最後まで見ていただいた方、ありがとうございます💐

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