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畑ネコ「チロ子」とのお別れ

畑ネコ「チロ子」が行方不明になって1週間。

どこかで生き延びてほしいという願いもむなしく、昨日、家の近くの木材置き場で亡くなっているのをお隣の人が発見してくれた。

そのあたりは何度も捜したはずなのに、ブルーシートでおおわれた木材置き場までは目が届かなかった。連日の猛暑で体が相当弱っていたので、チロ子も「にゃー(助けてぇ)」の一声が出せなかったんだろう。

見つけてあげられなかったことが、すごく、すごく、すごく悔しい。

チロ子は、私の畑友達のおばさんが飼っていた雌ネコで、年齢は7〜9歳くらい。おばさんの記憶が曖昧で正確な年齢はわからないが、どこかの飼いネコではない。生まれたころにおばさんが拾ってきて、それ以来ずっと、うちの家の前の畑で住んでいた。

私がチロ子を認識するようになったのは、実家であるいまの家に昨年引っ越ししてから。女の子なので「4年前には避妊手術をしてもらった」と、おばさんは言っていた。

避妊手術をしたせいか、それとも生まれたときから畑で過ごしてきたからか、チロ子には野生の本能が残っていた。女の子だけど気性が激しく、おばさんが飼っているもう1匹のネコ「チビ男」によく噛み付いていた。顔面血だらけになっていた雄ネコのちび男は推定年齢3歳。飼いネコだったせいか、缶詰に入ったちょっとお高いキャットフードを好んで食べる。キャベツの害虫の青虫まで食べていた野生のチロ子とは大違いである。

そんなチロ子とおばさんの別れは、突然訪れたわけではない。

連日35℃以上の猛暑日が続き、チロ子の体はどんどん弱っていった。おばさんの話によると、あるときからご飯を食べなくなり、ふっくらとした体がどんどん小さくなっていった。それでも炎天下を避け、日陰でなんとか過ごしていたが、1週間前の夕方、とうとうおばさんの元に帰ってこなかった。

「チロ子ー、チロ子ー」

いつもおばさんが大声で呼ぶと、チロ子とチビ男がどこからともなく現れて、おばさんの元に駆け寄ってくる。ところが、この日はチビ男しか現れなかった。体が弱っていくチロ子の様子を見て、おばさんはチロ子の死期を予感していたのだろう。

「どこか、死に場所を探しに行ったのかなぁ」

おばさんはそう言いながら、寂しそうな表情を見せた。気休めにしかならないと思ったけど、おばさんを励ますために私は「また、明日になったら戻ってくるよ」と、答えるしかなかった。

だけど、チロ子は翌朝も帰ってこない。おばさんがチロ子のために用意しておいたキャットフードも水も容器に入ったまま。行方不明になった前日、チロ子のためにおばさんとふたりで作った簡単な日陰ハウスにも、チロ子の姿はなかった。

<いよいよ、その時がやってきた>

そう覚悟したのか、おばさんは初めて、私の目の前で涙を見せた。

「おやじ(旦那さん)が死んだときよりもつらい・・・。チロ子がいなくなるのは、やっぱり悲しい・・・・」

ツバの広い麦わら帽子で隠れた小さな顔は涙で濡れていた。流れた涙を手で拭いながら、おばさんは嗚咽した。

小柄だけどひとりで広い畑を耕し、収穫した野菜をたくさんの人に配る、勝気でがんばり屋さんのおばさん。どんなに悪天候でも、チロ子とチビ男に餌をあげるために毎朝夕畑に足を運ぶおばさん。おばさんというより、実は80いくつのおばあちゃんだけど、チロ子と畑で過ごすひとときが、おばさんの生き甲斐になっていた。

チロ子はおばさんにとって、かけがえのない存在だった。

チロ子が見つかった日の朝、おばさんはたまたま伊勢神宮にお参りに行っていたらしい。1週間も見つからなかったのに、その日発見されたのは、きっとお伊勢さんにお参りしたおかげだと思う。いや、ぜったいにそう思う。伊勢神宮の神様が、チロ子をおばさんの元に返してくれたのだ。

「おばさん、チロ子が見つかったよ」

夕方、畑にやってきたおばさんに、そう声をかけながらブルーシートの場所を指差すと、おばさんは「チロ子はそう遠くに行かないと思ってた」と、少し安心した様子だった。愛ネコの死を覚悟しながらも「他人には迷惑をかけられない」と、死に絶えた場所のことをずっと気にしていたからだ。

「チロ子ー、チロ子ー」と、いつものように優しく声をかけながら、木材の下に隠れていたチロ子の亡骸を、おばさんは少しずつ引きずり出した。そして、チロ子を胸に抱えた後、苗や肥料を運ぶための道具(てみ)にチロ子をのせた。

その様子を少し離れたところから、お隣さんとふたりで見守った。できるなら手伝ってあげるべきだけど、ペットを飼ったことがない私にはネコの亡骸に触れる勇気はないし、正視することもできない。猛暑のなか、どんな姿で亡くなっているのかも想像できなかったので、おばさんとチロ子を見守るのが精一杯だった。

幸いなことに、チロ子はきれいな姿のまま亡くなっていた。ネコのぬいぐるみみたいだったけど、今にも動き出しそうな姿で眠っていた。

ただ、最近まで生きていたとしたら・・・・そう思うと余計悔しい。

おばさんは、チロ子をチビ男に見せた後、いつも自分がいる休憩場所の近くの土に埋めた。淡々と埋葬作業をこなしているときは、気丈にも見えたが、終わると堪えきれずに泣いてしまった。行方不明になった日、辛さが込み上げてきたことを思い出したみたいだった。

小柄なおばさんが、さらに小さく見えた。

行方不明から1週間。大好きなおばさんの元に戻ってこられて、チロ子もほっとしたんじゃないかと思う。これからはずっとおばさんのそばにいられるのだから。







 




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