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他者理解の進め方【まとめ】

自閉スペクトラム症の特性を持つお子さんでは、他者の言動が理解できないがために相互コミュニケーションを進めていくことが難しく、社会性および人間関係に困難さを抱えてしまうことがあります。
今日は、他者を理解するための土台となる、自分というものを理解するための過程を見ていきながら、療育の進め方を一緒に考えていきましょう。


自分を理解する(自己理解)

発達支援、療育を行う上で大事なのは発達の順序性、マイルストーンをしっかりと押さえていくことです。

運動発達を考えるうえでは、寝返りができないのに座れるわけもなく、歩けもしないのに走れるわけもないというのは理解しやすいことかと思います。
他者理解などの心理・精神的発達においても同じです。
自分のことも十分にわかっていないのに、他者のことをわかるはずもありません。
自分自身を理解する、という最初の段階をじっくり見ていきましょう。

自分の身体を理解する

自分自身の身体がどのようになっているのかを理解することはすべての基礎です。
足があり、手があり、胴があり、頭がある。
顔には、目、鼻、口、耳、眉、髪などがある。
自分は今、立っているのか、座っているのか、歩いているのか、走っているのかが理解できる。

自分の思うように、自分の身体を動かすことができるという「運動主体感」と、自分の身体はまさに自分の物であるという「身体所有感」というものは、社会性を考えるうえでの基盤となります。
さまざまな運動から感覚を得て、自分の身体を作り上げていく必要があります。
とにかく、遊びましょう!!
大きく身体を動かす粗大運動を中心に、
歩く、走る、跳ぶ、階段の上り下り、よじ登る、飛び降りる、転がる、押す、引くなどなど。
36の基本の動きと言われる動きを意識して、さまざまな運動に取り組んでいきます。

https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/117113.pdf

動作の意図を理解する

パソコンに向かって仕事をしている、という自分の姿をイメージできますか?
私たち大人は、このように言うと
「椅子に座ってパソコンの上に手を置いて、目はパソコンを見つめながら指をカタカタさせている」という身体の姿勢や動きを容易に想像できると思います。
「椅子に座ってパソコンに・・・」という動作から、「パソコンに向かって仕事をする」という意図を理解することは、
他者の動きを見てその人の動作の意図を理解するためにとても重要なことです。
ジェスチャーゲームなどを活用して、お題に応じた体の動きを表現させるゲームなどが有効です。

ダイソーさんにはこのようなアイテムも売っています。
時代を先取りしていますね。
このほか、筆記用具などであれば、
「まずはお題の物の形を、身体で表してみてね」とはじめて、答えが出ないような場合は、
「お題の物を使っているときの様子を身体で表してみてね」と動作から意図を読み取り、使用しているものを当てる、などのように進めていくといいと思います。

自分のプロフィールを理解する

自分の名前、性別、年齢、好きなこと、嫌いなこと、家族のこと、学校のこと、住んでいる地域、通っている学校など、自分に関係することを知り、自分は何に帰属しているのかということを知ることは、会話を進めていく際や、他者のことを知りたい、という意欲を高めるためにも重要なことです。
昔はよく、プロフィール帳などがはやりましたが、今はどうでしょう。
SSTでは、自分のプロフィールを考え、相手のプロフィールについても知ることができるようなプログラムも用意してもいいと思います。

自分の感情を理解する。

自分の中に生まれる、怒り、悲しみ、うれしいなどの感情を理解することも重要です。
相手が怒っている、ということを理解するためには、「怒る」というのはどういうものか、自分に照らし合わせて考える必要があります。
自分の中の感情を理解し、どんな感情を持つ自分も良いんだ、どんな時でも自分は自分なんだということを形作っていきます。

大阪府人権教育研究協議会のHPからは、上記のようなパンフレットがダウンロードできます。
これをもとに、
「この、”ちぇっ”とつぶやいているこの気持ちは何だろう?」
「そう、くやしい!だね」というようなワークをするのも面白そうです。
もちろん、事前に感情の分類については学習し、ヒントになるような資料があるといいと思います。

自分の考えを理解する

感情に付随する、自分の考え、頭の中の言葉を理解させます。
かなしい時には、「大事な○○がなくなったから、どうしたらいいかわからない」など、その感情に紐づく言葉、その感情に至った理由を理解します。
そのように、自分の感情と考えを分けて考えることができるようになれば、相手の感情と考えも分けて考えることができる土台が作られます。
感情の理解だけでは、
「○○君が怒っている」だけですが、
考えを理解することができれば、
「○○君が怒っている。僕も○○君みたいにうまくいかなくてイライラした時に、怒ったことがあるなぁ。」
などのように、相手の感情の理由がわかるようになってきます。
http://daijinkyo.in.coocan.jp/kyozai/poster2/sheet/fukidasi.pdf

先ほどのサイトには、上のような吹き出しカードが用意されています。
この吹き出しカードを使って、

「ちぇっ」と言っている子の気持ちは”くやしい”だったね。
では、この子は頭の中でどんな言葉をつぶやいているかな。
吹き出しに書いてみよう!というようなワークも組み立てることができそうです。

他者の存在を知る(他者認知)

子どもは、自己中心性の中で生きています。
自分を中心に世界が回っていて、自分の思うように周囲が動いてくれる、という中で安心感を持ち、成長していきます。


赤ちゃんは、泣けば誰かがおむつを替えてくれて、ミルクをくれて、不快な状況を快適なものに変えてくれました。

言葉が出てくると、その言葉に反応して大人が動いてくれます。
自分の思うとおりになるので、もはやそれはパパママではなく、”自分の一部”なのです。

しかし要望ばかり聞いているわけにもいかないので、パパママは次第に、「ダメだよ」や「あとで」といって要求を聞いてくれなくなります。
そうしてやってくるのが、つらいつらい、「イヤイヤ期」です。

ノイローゼになりますね。

ですが、社会性の発達としてはこの「イヤイヤ期」、とても重要です。
「いや!」と思うということは、「なんで自分のいうことを聞いてくれないんだ!」という言葉に置き換えることができます。

今まで、いうことを聞いてくれていた、自分の分身のような存在のパパママが、”どうやら自分の考え通りに動く手足ではないらしい・・・”ということに気づく。

まさに他者を認知し、なんで????となっている瞬間です。

狭義の他者理解のスタート地点と言ってもいいでしょう。
このイヤイヤ期、しっかりと赤ちゃんの間に愛着形成がされているからこそ、パパママは安心できる存在だったということを証明してくれるものです。

私も、こんな言葉をかけられて、「いまつらいんだよ!!!」と思いましたが、今となってはやはり、こういうしかありません。
「そんなときもあったと思える時が来るから、、、頑張って!!!」

イヤイヤ期がないのは、子育てが間違っていたの?

この文面で気になるのは、ではイヤイヤ期がそんなになかった子は愛着形成ができていないのか?とか、安心できない存在だったのか?とか、子育てを否定されたと思われるかもしれません。
特に自閉特性のあるお子さんには、イヤイヤ期がないことがあります。しかしそれは自閉特性がゆえのものです。子育ての方法が悪かったわけではありません。

顔指向性とは?

自閉特性を持っているお子さんは、顔指向性が弱いということが言われています。
顔指向性とは、生まれながらに人の顔らしきものに注意が向きやすいというものです。

このように、3つの点が目と口のように配置しているものを見ると、顔に見えてしまいますね。
こういったことが自閉特性のあるお子さんは弱いとされています。
定型のお子さんは、生まれてすぐにインプリンティング(刷り込み)によって、同種の生物であり、自分を守ってくれる存在だということを認知します。
そこから、日々のかかわりによって早いうちに愛着形成がおこり、イヤイヤ期へと突入していきます。
しかし自閉特性のあるお子さんは、インプリンティング(刷り込み)が起こりにくく、抱っこしてくれている人が同種の生き物で、自分を守ってくれる、安心できる存在だということを認知することが難しいのです。
顔指向性が弱いことから、目が合いにくく、抱っこを嫌がったり、お母さんの言葉に反応しなかったり、共同注意(あそこに○○があるよ!といっても同じ方向を見ない)が弱いということが起こります。

自閉特性の子は愛着形成がおこらない?

では全く愛着形成がおこらないかというとそうではありません
日々のかかわりの中で、定型のお子さんよりは時間が大きくかかりますが、次第に自分の親だ、安心できる存在だという風に認知できるようになって、べったりくっついてくるくらいの愛着が形成されていきます。
だいたい、肌感覚で3年から5年は遅れる印象があります。
ですので、イヤイヤ期がやってくるのもそのころ。
4歳から7歳くらいにイヤイヤ期が来たら、もうそれはかわいいといってられないくらいのものですね。
幼稚園や小学校で、問題行動としてとらえられてしまいます。
しかし、それもその子からしたら、その子なりの成長なんです。
他者という、自分の思い通りにならない存在を、認知した、という証拠です。
そこから、スタートです。

自己と他者を分けて考える(自他分離)

イヤイヤ期真っ只中の時に、子供は次第に、
”どうやら、親は自分の手足でないどころか、そもそも自分ではないらしい”ということに気づき始めます。
自分という存在がいて、そして自分とは違う”他者”という存在がいるんだということを分けて考えることができるようになります。
実はここで、自分、という存在にも同時に気づくことができます。
自分ってなんだろう。
どこからきて、どこへ向かうんだろう。
まだことばでうまく表現することはできませんが、漠然とそのようなことを感じることができた時、自分を知るための言葉を使ったソーシャルスキルトレーニングが有効になってきます。

自分とは何かを知る。
他者とは何かを知る。
それによって、自分は他者ではないし、誰かに動かされているわけでもない。自分は自分、という概念を形成していきます。
同時に、他者は他者であって自分ではない、自分の思う通りにはならない、ということも、ゆっくりと学んでいきます。
どうしても、自己中心性のなかで生きているので、自分は自分、ということは理解できても、他者は他者、自分ではどうにもならないということの理解は、相当後の方になって理解が進んでいきます。
大人になっても、そのことが理解できず、相手を変えようと息巻いている大人もたくさんいます。
できるだけ、子供のうちに、わたしたちがかかわりを持てるうちに、習得してほしいと願っています。

他者の視点取得

他者はどうやら、自分とは違うらしい、という理解がさらに進むには、他者が見ているものは自分とは違う、ということを理解しなければいけません。

ものの見え方は、自分が見ているものと、他者が見ているものは違う風に見えている、という物の見え方を「くるん」と回転させて、相手にどう見えるかを想像するような課題が、他者の視点取得を育てていくには適しています。

心的回転課題

このような課題を、心的回転課題「メンタルローテーション課題」と言います。

たとえば、コグトレプリントでは、スタンプ、鏡写しなどがその前段階の、頭の中でイメージを操作する課題になります。

この課題ができてくると、本格的な心的回転課題に挑戦していきます。

下のプリントのように、自分には「平」という形に見える立体の物があるとして、それを上下左右からさまざまな動物が見ていて、それぞれの動物から見える「平」という物体の形はどのように見えるか、という課題です。

三つの山問題

これは、三つの山問題としても有名です。

子どもが見ている位置とは違う位置に人形を置き、その人形からは山がどのように見えるか、という課題です。
幼児では、自分が見えているように答えますが、他者視点が育ってくると、人形の見える風景を想像しながら答えることができるようになってきます。

この時、実際に山の裏側に回ってみることで、風景が変化するというような経験を積むことでも、視点が立つ場所によって入れ替わるのだということを実体験できます。

それを繰り返していくことで、心の中で空間を操作することができるようになってきて、プリントなどの2Dの世界でも、心的回転操作ができるように進めていきます。

模倣運動やダンスも有効

実際に身体を使って、心的回転をさせるのも有効です。

たとえば、前に立つ先生と子供が向かい合っているとして、先生が
「右手をあげて」といって自分の右手をあげます。

そうすると子供たちからは、左側が上がっているように見えます。
ここで他者視点の取得が完成している子は特段何も考えずとも自分の右手をあげることができますが、他者視点の取得が進んでないお子さんは、見たままに左手をあげてしまいます。

または、「先生、それは左手だよ」という子供もいるかもしれません。
そのように疑問を子どもが持った時に、指導のチャンスです。

「○○くん、では右手をあげたまま先生の後ろに立ってごらん。」
と伝え、先生の後ろ側に来るように回転しながら移動してきてもらいます。この時、先生も右手をあげ続けます。

そうすると、後ろに来た時には子どもが「あれ、いっしょになったよ!」というと思います。

もう一度戻ってもらうと、また左右が違う状態になります。

このように、自分からは左手のように見えても、相手の視点に立つとそれが右手である、ということを実体験として理解させながら、模倣運動やダンスを進めていくのもいいでしょう。

キツネ・ハト課題

認知症の検査でも使われたりしますが、このキツネ・ハト課題も他者視点が育っているかを確かめるには有効な手段です。

図にあるポーズを検査者がとり、それを模倣させる検査です。
まずは上段のキツネができるかどうかを見ます。これは純粋に模倣能力があるか、視空間認知能力があるか手指の巧緻性はどうかというものを見ています。

下段のハト課題では、掌が自分の方に向くようにして、ハトが作れるかどうかを見ます。

上の画像の、よくある失敗例にあるように、掌をこちらに向けてハトをつくった場合、他者視点の取得が進んでいないことを示しています。

どういうことかというと、先生の作ったハトを見た子供は、先生の手の甲を見ることになります。
それを真似しようとして、自分も手の甲が見えるようにハトをつくると、先生側には掌が見えてしまいます。

簡単にできる課題なので、あそびの中などで確かめながら、他者視点を取得するための、心的回転が十分に行えているかを考えながら、支援を深めていくことが重要だと思います。

あそびの中で育てる他者視点

子どものころから、手遊びなどはよくやると思います。
たとえば、右手はグーで、左手はチョキで、などの手遊びはまさに心的回転課題を取り入れた遊びだと思います。

また、お面をつくって自分の顔に着けて遊ぶというのも、自分がお面の顔を見えるようにつけてしまうと相手には見えない、ということを学ぶのに有効です。

公園あそびでは、かくれんぼ、かくれおに、缶けりなどが有効です。
鬼の視点をイメージして、ここなら隠れても見つからないだろうというところを想像したり、今鬼はあそこにいて自分は見えていないはず、、、と思いながら移動をしたㇼ、缶をけりに行ったりする、というのもかなりのトレーニングになります。

最近ではそのようなあそびをしている子供も少なくなりました。
遊ぶ場所が限られている、というのもありますが、そもそもこのような他者の視点が十分に育たず、ゲームとしての難易度が上がっている、ということも背景にはあるようです。

共感する力

他者を理解するうえで、相手がどのように感じるのか、相手はどのように考えているのかを想像する力、いわいる「共感力」というものが必要になってきます。

ここからはこの、「共感」について一緒に考えていきましょう。

「共感」とひとくくりののしてしまえば簡単なように思われますが、自閉スペクトラム症の特性を持つお子さんは、他者の気持ちや考えに共感することが難しく、それを鍛えていくのも骨が折れます。

「あいての気持ちを考えて・・・」
とか、
「お友達が嫌な気持ちになるよ」といった言葉を投げかけてもあまり効果が期待できません。

気持ちの共感

私の考える、「共感力」にはいくつかステップがあります。
まず初めに、「気持ちの共感」

相手は今、うれしいのかな、かなしいのかな、おこっているのかな、というように、どのような感情を持っているかを想像し、感じ取ることができる能力のことです。

気持ちを感じ取るには、相手の表情や、姿勢、身振り・手振りなどの外側から見える情報の他に、声のトーンなどから聞こえる情報などによっても感じ取ることができます。

表情の書いてある写真や絵カードをみて、感情を言い当ててみたり、声色を聞いて言い当ててみたりするゲームなどが有効かもしれませんね。

考えの共感

感情が理解出来たら、次は「考えの共感」です。

かなしい、という感情は人が変わっても、かなしい、というもので変わらないと思います。
しかし、その感情に付帯する、「考え」は人によって異なります。

たとえばAさんは「かなしい」感情を抱えた時に、「○○くんのばか!もう遊んであげない!」と考えます。
一方Bさんは、同じく「かなしい」感情を抱えていますが、「わたしのバカ!なんでいつもうまくいかないの?」と考えます。

Aさんは何か悲しみや怒りを感じたときに、他人の責任にする「他責思考」を持つタイプで、Bさんは自分の責任にする「自責思考」を持つタイプです。

このように、同じような場面・状況、そして泣いていて「かなしい」という感情を持っているようだ、というところまで共通していたとしても、「考え」は全く別物ということもあり得ます。

どのような考えを持っているのかな、というのは聞いてみないとわからない部分でもありますが、想像をしたり、他の人の意見を聞いたり、物語をよんで多様な感情や考えを自分の中に蓄えていくことが大事です。

考えを言語化することがそもそも苦手なお子さんが多いですので、気持ちに付帯する考えを考えて、発表するというワークは、気持ちの言語化の練習にもなりますし、他者の考え方を知るいい機会にもなります。

誤信念理解

誤信念を理解する。あまり聞きなれない言葉だと思ます。
誤信念とは、他者の信念(信条、考え、心など)は必ずしも自分とは一致しない、違った信念を持っているものだということです。

自分の見てきたもの、知っているもの、感じているものは、相手は知らないということを理解する能力のことです。

よく小さいお子さんは、あたかも大人もそれを知っているかのような口ぶりで話をします。

「昨日テレビで○○やってたでしょ?え、知らないの?どうして??昨日テレビでやってたのに!」

といった具合です。

自分はテレビを見ていたから知っている、だけど相手はそれを見ていないということの想定がまだできないのです。

このような力がついてきているかを簡便に調べる課題が、「サリーとアンの課題」です。誤信念課題と言われます。

この問題を客観的に見ている「わたし」は、
アンがサリーのビー玉を自分の箱に移したという事実をしっていますが、サリーはその場面を見ていないのでサリーはその事実を知らない、だからサリーは自分のかごを探すだろう、というのが正解です。

ただし、この誤信念が理解できていないお子さんでは、
「ビー玉はいま、箱にあるからこっちを探すよ」と言います。

この課題を遂行するには、自分の見ている客観的事実の時間軸の線と、サリーの見ている(あるいは見ていない)時間軸の線を行ったり来たりしながら、”サリーはしっているか”、どうするかということを考えなくてはいけません。

誤信念を理解していないお子さんでは、難しい課題になります。

もう少しやさしい誤信念課題に、スマーティー課題というものがあります。

”検査者はあらかじめお菓子の箱に鉛筆を入れておきます。
対象の子供にお菓子の箱を見せ、
「この中には何が入っているでしょう?」と聞きます。
こどもは、「おかし!」と答えるでしょう。
実際に開けると、その中には鉛筆が入っています。
対象の子供に、「同じ質問を○○くんにもしたら、なんて答えると思う?」という質問をします。”

「お菓子と答えると思う」が正解です。
これも、自分は知っているけれど、○○君は知らない、ということの理解ができるかどうかの課題になります。

サリーとアンの課題とちがって、登場人物が自分や検査者、友達といったわかりやすい構成になっていますし、誤信念を推測する対象が出てくるのが最後の方ですので、考えるべき時間軸の移動も少ないため、誤信念課題の中では比較的やさしい課題とされています。

逆に、もうすこし難しい、アイスクリーム課題や、誕生日課題という誤信念課題もあります。
これらは、登場人物や時間軸が増えるため、さらに難しい設定になっていますので、二次的誤信念課題とも呼ばれます。


共感的理解

そして最後に、「共感的理解」です。
これは大人でもなかなか難しいです。共感的理解ができずに社会の中でトラブルを起こす方は少なくないでしょう。

かなり前頭葉の発達を必要としますので、しっかり育ってくるのは思春期以降ではないかと思います。

「共感的理解」とは、相手の立場に立って、理解する。というものです。
相手の立場というのは、相手の置かれている状況、たとえば家庭環境や生い立ち、持病や障害の特性、性別や性格なども含めた、一人の人間としての「相手」に対して、なぜそのような感情を持つのか、なぜそのような考えに至るのか、なぜそのような行動をとるのか、今起きている現象だけではなくその人の性格や背景なども踏まえたうえで、理解をし、共感するということです。

たとえばお友達を殴ってしまったというAくんに対して、怒っているんだな、とか「なにするんだコノヤロー!」と心の中で叫んでいるのかなとか共感を示すことはできますが、そこからさらにその子の気持ちによりそうように共感的理解をしめすには、家で嫌なことがあったのかな、今日はあまり眠れていないのかな、体調が悪いのかなというように、今目の前で起きている現象だけでなく、背景にも目を向けて、共感を示していくことが重要です。

お友達と仲良くなるためのワークとして、たくさんお話をしながら、相手の好きなこと、嫌いなことなどをインタビューしていくようなものが有効であると思います。


他者理解の進め方について、少し時間をかけて考えてきました。

運動の療育と似ているところは、やはりマイルストーンをしっかり押さえること。

トングが持てないのにお箸は使えないのと同じで、自己理解ができていないのに共感的な理解などできるはずもありません。

土台になる部分をすっとばかしていると、かえって時間がかかったりもします。

ゆっくり、じっくり、土台を育てていきたいですね。

最後まで、読んでいただき本当にありがとうございます!!


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