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生きていれば、きっとまた会える

小学校2年の時に、完全に父の影が家から消えました。もともと、母は群馬、父は東京に単身赴任の家で、私は母と暮らしていました。
もともと父は2週間に1度、家に帰って来る人で、我が家では影が薄かったのですが、ある日を境に全く帰ってきませんでした。
理由は、父のDVでした。
1年かけて手紙のやりとりをした結果、私が小学3年生の時に完全に離婚となりました。

離婚は「なるようにしてなった」結果でしたが、幼な心に、「これ以上、自分が傷つかないように」しようとしていたのか「何も感じていないように」振る舞っていました。父に会いたいという気持ちも正直ありませんでした。そのまま9歳から24歳まで、15年間、父には会いませんでした。

24歳の時に、精神的な病を初めて患い、もう色々切羽詰まって、兄に父を探してもらいました。15年ぶりに再会した父は見違えるように立派になっていました。
そこから、38歳までの14年間は、とても楽しい父との時間を過ごしました。
食事をしたり、ドライブをしたり、坂本冬美のコンサートへ連れて行ったり。
2014年に父が亡くなるまで。

父の最期については、今でも悔やまれます。自然死ではありましたが、孤独死でした。
近くに住んでいたのに、早く見つけてもあげられなかった。一生、私の心に傷を残す感じでしょう。

でも、会えずに過ごしていた期間と同じくらい交流の時間が持てたことは一生の宝物になりました。

人生はタイミングがなかなかうまくいかない。
でも、その中で、最大限ベストを尽くして、良い関係を作る必要がある。それは工夫次第だ、と思うのです。

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