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どうして医療不信がおきるのだろう?と考えてみた雑記

はじめに


こんにちは。臨床検査技師の服部と申します。
私は医療職であると同時に様々な持病をもつ患者でもあります。

昨今、新型コロナウイルスとmRNAワクチンについて推進派、反対派がSNS上で対立しています。また、社会としてこのコロナ禍にどのように対応するか様々な意見があるため苦しい思いをしている人が多いのだと思います。

根底に日ごろから培ってしまった医療不信も潜んでいるのではないかと感じ、私という1つの例にしかありませんが実体験を基に考えをまとめてみようとこの記事を書きます。あくまで私の考えです。
※医療不信だけでなく政治や権力への不信も大きくあると個人的に思いますが、今回は割愛します。

こんな考えもあるんだなと最後まで読んで感想などいただければ嬉しく思います。

医療職としての医療

私は臨床検査技師です。特に超音波検査を専門としており、身体の中を超音波でみて、病変を発見することが仕事です。
定期的に検査を行って変化がないか、新たな悪いものができていなかを調べることが目的な人もいれば、「お腹が痛い」という症状を訴えてきた方の「症状の原因」を探すこともあります。

この「症状の原因」を探すがひとつのキーワードではないかと思います。

実際に超音波検査を行う際には「大きな臓器」や「血管」をみていきます。
胆嚢炎はないかな?膵臓は?虫垂はどうだろう?
患者さんの訴えにあわせて痛みの原因を考えながらひとつひとつ所見を得て医師に報告します。

このとき「胆石と胆嚢炎です!」と明確な痛みの原因となる所見を得ることができれば患者さんも納得です。
痛みの原因がわかればそれに対する治療をしてもらえればこの痛みから解放されます。

しかし、「痛み」というのはそう簡単なものではありません。超音波検査に「異常所見がない」痛みといのはたくさんあります。

検査者としては重篤な所見はない = よかった となります。
あとは医師が他の所見から診断をします。しかしながら明確な原因が何かというのがわからないものがたくさんあるので対症療法となることもあります。

医療従事者としては「命に係わるものではない」「対症療法でコントロールできるくらい」というのは普通にあることとして受け止めることができます。

では一方で患者の立場からはどうでしょう?

私が患者の場合の医療

私も今までにいろいろな痛みを経験しました。
まずは治った痛みの場合を提示します。

突然の痛み

私がストレスフルな職場で働いていたころ、当直中に突然耳の後ろがズキズキと痛み出しました。持っていた市販の頭痛薬を飲んでも気休め程度で朝までずっとズキズキとした痛みに耐えながら仕事を終え、そのまま病院にかかりました。
後頭神経痛ということで神経痛によく効く薬を処方され、それを飲んでしばらくすれば痛みに悩まされることはなくなりました。
原因はストレスということでなるべく休息を大事にしたり、カフェインなどを取りすぎないようにすることでほとんど痛みが再発することもなくなりました。
「症状の原因」がわかって医療のおかげ!というパターンです。

慢性的な痛み

今現在も続いている痛みなのですが、ずっと首から背中にかけて痛みがあります。
上半身を動かすときに痛ければ、常に重苦しい感じがあります。

もちろん病院に行きました。内科に行っても解決せず、整形外科でレントゲンをとっても「骨には異常ないです。湿布で様子を~」と。
整体や整骨院に行っても施術中は少し楽な程度ですぐに痛みがもどってきます。

医療職として考えれば「重篤な痛みじゃないし、湿布でごまかすしかないんだろうな」「明確な原因がわかんない痛みっていっぱいあるもんな」と考えます。
しかし患者の立場だと「症状の原因」はいったい何なの!?この痛みから解放して!という想いでいっぱいです。
よくわからないけど痛いって本当にストレスです。

痛みから解放されなかったらどうする?

医療機関に行ってもだめ、整体とか行ってもだめ、ならばと自分で考えてみることにします。
今はとても便利な時代です。図書館に行かなくてもインタネットでちゃちゃっと検索できてしまいます。

Google検索で調べるといっぱい出てくる痛みに関する情報。
なになに?この運動をすればいいのか。あまりきかないな…
おや?この道具を使えば解決?
病院は治ってしまうと患者としてこなくなるからこの道具のことを患者に教えない?なんだって!?
そしてこの痛みの原因は今までの○○が原因だった?!

このパターン。これを読んでいるあなた自身の体験、もしくはあなたのまわり、インターネットでみかけたことありませんか?

私は医療職なので病院がそんなことをして何の得にもならないし、そんなひとつの原因が自分のことをよく知らない人がわかるわけないという思考も働くのでそのよくわらかない道具を買うなんてことはしませんが、それがなければころっと騙されてしまいます。
そしてタイトルの通りの「医療不信」に陥ってしまいます。

根底に「病院は症状の原因」をつきとめて痛みから解放してくれなかった。
があると思います。

それを間違っていたとしても○○が原因と断言され、その解決法も間違っていても提示されれば気持ちが楽になります。
するとなぜか本当はそれで治るはずがないのですが痛みが緩和されたように感じてしまいます。プラセボ効果が関与するのかもしれません。

医療職にとってなんのことはない、重症なものではない、重篤なものではない「痛み」も患者にとっては日常的に悩みの種であり、ストレスであるのですが、すべての痛みの原因を解明できるほどまだ人類は発達していないのです。きっとこれからもそんな日は来ないでしょう。
病は気からともいいます。プラセボ効果が生まれてしまうように「不安」が痛みを引き起こし、「安心」が痛みを緩和してしまうこともあります。

医療従事者として思うこと

医療職ほど原因が明確でないかぎり「断言」をしません。いえ、できないのです。色々な可能性があるからこそ慎重になります。
しかし断言されないことは患者にとっては「不安」につながります。

人は「不安」がとても嫌いです。何としてでも「不安」を解消しようとします。その心理を知っている「悪い人」たちが不安を利用したビジネスを行います。
よくわからない「ただの水」を「万能薬」として売りつけたり…
ただの水なら人体に害はないからまだ良いものですが、これが薬剤だったりすると大変です。
薬は用法用量と使うべき対象を守ってはじめて「薬」となります。
それを間違えれば「毒」です。

悪い人たちは不安な人に寄り添うように欲しい言葉、断言した言葉を投げかけてきます。一方で誠実な医療者は欲しくない言葉や不安をぬぐい切れないような言葉をもたらさるを得ない状況があります。
今とても不安で苦しい人はどちらを選択するのかと問われれば「悪い人」になりがちです。
私も医療従事者であることと不安を別の方法で解消しているのでだまされることはないですが、そうでなかったらきっところっと騙されます。

医療従事者はどうしたら良い?

悪い人たちのように「欲しい言葉をかけること」や「断言」ができなくても「寄り添う」ことはできます。
医療従事者と患者の信頼関係が大事とはこういうことなのだと思います。
私も今までに様々な病院にかかってきましたが、不安でしんどくて病院に行ったのにPCばかりみてこちらをみてくれずに診察が終わったり、症状と関係のない説教がはじまったりして不信感をいだいた経験はあります。
医療従事者と言っても全員が全員、私にとって信頼できる人でないことはたしかなのです。そんなとき病院を探すことになります。

しかしここにも問題があって、一部に「悪い医療従事者」が紛れています。怪しげな物品を売ったり、自由診療で標準治療とかけ離れたことをしていたり、そしてそれは往々にして高額であったり。

私からみるとだまされている人々はかわいそうだ、なんとかしてほしいと思ってしまいますが、そこに駆け込んだ人が「不安」から解放されているのならばもしかしたらその人は満足なのかもしれないとも考えます。

しっかりとゴールドスタンダードを学んだ人からみれば「病気」を治すどころか「悪化させうる」こととして非難したくなるところですが、こちら側が対処できなかった「不安」に対して対処できているのが「日ゴールドスタンダードから外れた医療従事者」なのかもしれません。

しかし、効果のないやり方で不安だけ取り除いて治っているようにみせかけるやり口はやはり決して許されることではありません。

ではどうしたらいいのか。
治療とは別に「不安」にアプローチする専門家を地域に設けることが良いのではないかと考えます。
○○が痛い、○○が不安。実は医療従事者としてそんな想いをしっかり聞きたいところですが、そうもできない多忙さがあります。
医療体制が旧態依然として待遇も労働形態も未成熟なままどんどん技術や学問は発達し、やらなければならないことが増え、寄り添いきれなくなっているのが現状だと思います。
故に「治療部隊」と「寄り添う部隊」を分けるのはどうだろうと考えました。
寄り添う部隊がしっかりと不安や困りごとを聞いて、必要とあらば専門家に聞いてまた伝える。というのが「悪い人」に騙されないようにする手法だと感じます。

まとめ

私が感じた医療不信はどうして生まれるのかを考えて文章にしました。
私の中の結論として今の医療は「不安」に十分にアプローチできていないがゆえに医療不信がうまれているということです。
そして、それを好機ととらえたビジネスが横行しているのだと思います。
しかしながら現代の医療体制では真面目に働く医療従事者側に「不安」に寄り添いきれるだけの余力が残されていないのも現実です。また、医療従事者であっても「悪い人」がいるので一緒くたにされて世間から不信感を向けられる原因にもなっています。
そのため、しくみとして「不安」を解消するための機関があれば何か変わるのではないかと私は考えました。

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