見出し画像

いいこと、ないよね

 いいことないかなー

 インスタのストーリーでも、ツイッターでも、僕のとなりでも、そう言う声が聞こえてくる。

 初めてのnote投稿から半年以上も開けて、ようやく新たに書き始めた内容がこれというのも難だけど、最近いつもこの言葉を目にしている。

 みんなの言ういいことって何なのだろう。お金がたくさんもらえるとか、人生の伴侶に巡り合うとか、そういうことなのだろうか。それか、本人にも、その「いいこと」が何かは分からないのかもしれない。逆にそれが肝であったりして。なんだか、自分でも体験したことのない、想像したこともないほどの、圧倒的ないいことを期待しているのかもしれない。

 なんでこんなことを書いているのかというと、僕は全く「いいことないかなー」と思ったり口に出したりしたことがないからなのだ。まあ僕の人生にいいことが溢れているからなのかもしれないし(自身では甚だそうは思えないけど)、僕がみんなの言う「いいこと」とは何かを知らないだけなのかもしれない。

 どっちにしろ、そう口にするみんなからは、無力感みたいなものを感じる。その「いいこと」を自分で起こすことは無理なんだという自覚だ。だから、いいことないかなと、一つまみの期待を呟きに乗せる。

 僕自身は今、20歳で、僕が言っているみんなというのも同年代だ。そんなみんなが自身を無力であると感じている。自分で自分を幸せに出来ない悲壮を「いいことないかな」に込めているのだ。

 気づけば、高校を卒業した後の方が、いいことないかなとの遭遇率が高い。みんな、くだらない校則や興味のない勉強から解放されて、やっと自由になったはずじゃないか。あの頃の方が、自由で全能感たっぷりだったのだろうか。

 いや、それよりも、諦めに近いようなものをみんな抱えながら、高校までを生きていたように思える。高校生なんだからしょうがないと、みんな思っていた。今はまだ、強制されて生きているのだから、幸せになどなれるはずもないと。

 いつしか、うっとうしかった校則や勉強が、不幸の言い訳をするためのよすがになっていたのかもしれない。

 高校生も終わって、不幸に言い訳ができなくなると、もう逃げる場所もない。大人になると、正面から責任がぶつかってくる。なのに、ツーブロックにしただけじゃ、そこまで幸せにもなれない。こめかみを5mに刈ることが、僕たちにとっての「いいこと」じゃないみたいだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?