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40歳、年子育児始めます。


1年ぶりのnote

1年ぶりの投稿になります!
この間、我が家には、また新たな家族が増えました。
2023年6月、40歳にして第二子を出産♪上の子との歳の差は、1歳9か月。
年子の姉妹になります。ここからは、上の子を「はうるJr.1号」下の子を「はうるJr.2号」と呼ばせて頂きます。m(__)m

「はうるJr.2号」は、生後間もなく、ミルクアレルギー(消化管アレルギー)と診断され、ミルクアレルギー用のミルクを飲んでいます。
生後3日あたりから、便に血が混じったり、ミルクの嘔吐を繰り返すなどでNICUでの入院になりました。
ちゃんと体重は増えていくのか、いつまでミルクアレルギー用のミルクに頼るのか、離乳食はどのように進めるのか等、この先の発育にどう影響してくるのか、心配で不安で仕方なかったです。
産院では「ミルクアレルギーの赤ちゃん、たまに居るのよね~」と聞くくらいだったり、周りにも子どもがミルクアレルギーだった・・・という経験者がおらず、わりと珍しいのかな、とまた不安が募ったりもしました。
そんなミルクアレルギーをもって生まれてきた「はうるJr.2号」の成長を備忘録として残し、またどこかで同じようにミルクアレルギーで不安に感じているママさんの参考になればと思い、久々にnoteを開く事にしました。
そして、40歳にして年子育児、その奮闘の日々も記録したいと思います。

復職半年後、第二子妊娠

「はうるJr.1号」は、生後6か月半で保育園に通っており、私も時短で仕事復帰していました。
保育園に通始めてからは、とにかく病気ばっかり!
だいたい保育園などでもらうようなウィルスには一通り感染している上に、コロナにも罹患しました。(↓過去の投稿参考までに。)

0歳育児と仕事に家事に、と・・・毎日慌ただしい日々。でも、頭の片隅には「はうるJr.1号」にきょうだいをつくってあげたい。2人目ほしい。という想いがありました。39歳で第一子を出産した私。年齢的には余裕がありません!ほしい、と思ったタイミングで、赤ちゃんがやってきてくれれば、次の出産に進もう・・・と思っていた矢先に、「はうるJr.2号」がお腹に宿ってくれたのです♪(因みに、1人目は2年半の不妊治療を経て・・・でした)

1人目の時のつわりもかなり重かったのですが、今回は更に重く・・・。
2か月で5キロ減り、飲めず・食えずで吐き続ける毎日。点滴に病院に通うも、ほぼ寝たきり状態で、日常生活もままならないので、お仕事は3週間ほど休職、実母に来てもらって助けてもらっていました。
復職からちょうど1年で、また次の産休に入る事になり、職場にはご迷惑お掛けする事になりました。m(__)m

1人目の妊娠は、妊娠期間を楽しんでいたのが、2人目は全くそんな余裕がなく・・・。育児に仕事に家事に、しょっちゅう病気する「はうるJr.1号」を抱えて病院に通う等していたら、あっという間に月日が経っていました。大きなお腹で1歳児を抱っこしているの、なかなかツラかったぁ~。( ̄▽ ̄;)

出産は2度のトライで2日ががり・・・

2人目は、1人目の時よりお産時間も短いはずで、スムーズなはず~と楽観的に考えていましたが、私は、2人目のほうがはるかに大変なお産になりました。(苦笑)
1人目は計画無痛分娩で出産したので、今回も計画無痛分娩に。予定していた出産日より2週間はやい段階で子宮口2㎝開いている、というので予定よりはやめに入院を変更し、陣痛促進剤で出産を試みました。・・・が、全然陣痛が進まず、まさかの一旦帰宅
もともとの予定日に再度入院し、2度目のトライ!!
痛くなるもの・・・初日は、またも出産に至らず。2日目、今日こそを産みたい!!と切望し、朝いちから陣痛促進剤の投与スタート。午後になっても進みが緩やかだった為、「やる気スイッチおしにきた~」と、ドクターが破水させてくれました。(先生、神!)
破水した後から、急に陣痛が進み出し、麻酔が追いつかず、普通に陣痛を経験しながらのお産になりまして。( ̄▽ ̄;) 2日かかってようやく産まれてきてくれた「はうるJr.2号」でした。
微弱ながらも麻酔を2日ほど入れていたせいか、産後は嘔吐もありました。

生後3日から、ミルクの嘔吐が始まる次女

1人目以上に大変なお産になりましたが、無事に産まれてきてくれた事に感謝し、また新生児との時間を過ごせる事を少し楽しみにしつつ、年子育児のスタートをきった2023年6月。
1人目の経験もあるし、0歳育児はなんとなく想定がつくわ~と思っていたのですが、やはり上の子と「同じ」とはいかないもので。
「はうるJr.1号」は、生後間もなくからよくミルクを飲んでくれ、1~2日に1回くらいウンチをし、若干便秘かな?と思うくらいでした。
それに対して、「はうるJr.2号」は、飲んだらウンチ、飲んだらウンチで、飲む度にウンチ。1日8~9回ウンチするので、ミルク吸収できているのかな?というのが最初の「大丈夫かな~?」の始まりでした。

私は、母乳があまり出ないので、ミルクばかり飲ませていたのですが、生後3日目あたりから、ミルクをあまり飲んでくれなくなってしまいました。この頃には1回あたり30mlは飲んでほしいところですが、何とか頑張って少しずつ、30分かけて20~30mlを飲ませていました。
せっかく飲んだと思ったら、数分後には飲んだ分だけのミルクを吐いてしまうようになり、それが2~3回続いた時点で、さすが不安になってきました。助産師さんにも相談し、産院に勤務している小児科の先生にも診てもらう事にしましたが、どこかが詰まっている様子はなく、血便も便自体に血が混じっているのではなく、痔やお母さんのホルモンをもらう生理の血のようだという事で、異常は無いとの診断でした。
唯一、黄疸の数値がひっかかったので、黄疸が強くて飲めないのかもしれない、という事で光線治療もしましたが、治療後も相変わらず飲めずに、どんどんぐったりしていきました。

小児専門の総合病院へ搬送される次女

夜、赤ちゃんを新生児室に預けていると、なかなかミルクを飲んでくれない様子や、飲ませても吐いてしまう様子をみて、助産師さん達も心配になってしまったようで、小児科の先生に再度診てもらうように頼んでくれたものの、やはり異常が検知されない、という結果でした。しばらく様子を見ることになり、生後5日くらいまではそうして過ごしていました。
ただ、毎回20~30mlのミルクを30分かけてあげては、吐いてしまうことの繰り返しで、私もミルクをあげるのが怖くなってしまうほどでした。
結局、生後の体重が12%減ってしまい、このままでは家に帰れないということで、産院から小児専門の総合病院へ移ることになりました。赤ちゃん用の救急車で迎えに来てくれて、産院から退院することなく、そのまま病院を移り、NICUへの入院になりました。「はうるJr.2号」です。(入院後の経過などは、また次回の投稿で書きます。)

次女のNICU入院と時同じくして、気管支喘息で長女2回目の入院

と、いうわけで・・・生まれて1週間にして、「はうるJr.2号」はNICUへの入院になり、わたしは入院を見届け、書類の手続きなどをしてから帰宅。
しばらくは、入院先に通って面会に行かねばならないわけですが、子どもを産んですぐの体で公共の交通機関を乗り継いで通うのは、ちょっとしんどいなぁ、なんて思いながら、旦那の仕事終わりに夜一緒に行ける日は、車を出してもらうなどして、なるべく体に負担のないように心がけていました。
、そんな心がけもむなしく・・・帰宅から3日、「はうるJr.1号」が体調を崩し、ぜえぜえ気管支喘息のような状態に。夕方から悪化し、寝る頃には息絶え絶え。何とか一晩のりきって、朝いちで近所の子どもクリニックに連れていこう、と思っていたものの、あまりに息が苦しそうで、寝ては泣いて起きの繰り返しで、朝までもたない(こっちも心配で心配で気が気じゃない!)と判断し、「はうるJr.2号」が入院している総合病院の救急に行く事にしました。
夜中の3時にかけこみ、応急処置をしてもらって、朝方5時半頃に帰宅。
帰宅して間もなく、また「ぜえぜえ」喘鳴が激しくなってきたので、再度病院に戻る事に。(泣)・・・この時点で、朝8時。
ステロイドを処方してもこの状態なら、入院ですね・・・という事で、何とか避けたかった入院でしたが、「はうるJr.1号」、1歳半にして2回目の入院決定っ!(涙)
し・か・も・・・「はうるJr.2号」と同じ病院ならまだしも、「満床で、ここには入院できないので、転院先を探します」と告げられる。
がびーーーーーんっ!!!まじっすかーーーー。(はうる、心の声)

小さい子どもが入院できる病院は限られており、結局、かなり交通の便の悪い病院への転院が決まり、救急車で移送される事になった「はうるJr.1号」。(-"-;)
転院先の病院は、コロナ対策の為11時~13時、若しくは17時~19時のどちらか1回2時間のみの面会が許されている病院で、1歳半の子どもが1日2時間しか親に会えない状態というのは、何とも胸が引き裂かれる状態でして。
「ママ―、ママぁ―」と、泣きわめく我が子との面会は、こっちももらい泣き。(涙)でも、背に腹は代えられない!入院のお陰もあって、「はうるJr.1号」の回復は早く、3泊4日で退院する事ができました!

長女、1歳半から吸入スタート

実は「はうるJr.1号」、1歳になったばかりの頃にも気管支炎で入院した事があり、その後も、少し風邪をひくとゼエゼエという喘鳴を繰り返すようになっていました。発作のようにひどくなると、近所の子どもクリニックでステロイドを処方してもらい、凌いでいました。
今回は、入院先のドクターに自宅で吸入器を購入して、吸入して予防するご提案を頂いたので、現在は毎日、気管支拡張の吸入やお薬で予防しています。(-_-;) 
成長とともに気管支も強くなっていく、というので成長と共に改善されるのを見守っていく事になります。

病気ばっかりなのは、0歳で保育園に通わせ始めちゃったからなのかな~、かわいそうだったかな・・・と思う事もありましたが、0歳保育園は、総じて良かった!と思っています。(↓0歳で保育園に通うメリデメを私なりにまとめた過去の投稿ご参考までに。)

そんなこんなで、私は、産後1週間にして、入院している子どもの面会に2つの異なる病院に通う日々でした。
もはや、『産後の人』ではなかったですね。( ̄▽ ̄;)
動かざるを得ないし、赤ちゃんそばにいないし・・・「あれ?わたし、子ども産んだの?あれは、幻?」と、出産したのがウソのようでした。(苦笑)

40歳、こんな風に始まった年子育児です。(不安)
また、「はうるJr.2号」のミルクアレルギーのその後の様子なども、記していきたいと思います。(続く)

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