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やおやのおろち(昔語り)

昔々あるところ、やおやのおろち というヘビがおりました


2010年代の終わりごろ、八百屋さんで働いていたのよ。
ごく短い期間のアルバイト(正社員希望でも、まずはアルバイト扱いから、ということでほぼ毎日オープンからクローズまで働くアルバイト)だけで、脱出したのだけれど。正規スタッフになる予定だったものの、結果的には試用期間で辞退したようなものね。

駅からすぐのところにある、小さな、坂道に張り付くみたいな、手作り感あふれる八百屋さん。

確かに楽しかった。同時にもう二度とやりたくない。
正確に言うと、仕事は楽しかったが、あの八百屋には行きたいと思えない。
社長のもとで働いていた日々を思い出すにつけ、人のこと判断するって難しいな、と感じている。

アレルギー体質ということもあり、お世辞にも天職ってやつではないながら、青果店の仕事は本当に楽しかった。
仕入れてきた野菜を小分けに袋詰めしたり、カットしたり。値札を用意して、店頭に並べて、適宜補充して、問い合わせがあれば応えて、レジも打って。系列でサラダやサンドイッチ、スムージーなどを売っているお店もやっていたから、そちらの応援にもたくさん行った。

新しい八百屋で、社長も若かった。資金もそれほど余裕が無くて、ちょこちょこ持ち出しで補ったものもある。業務に直結しない「自分がこうした方がいいと思うこと」に関しては自腹だったしね。
(布巾がずっと手洗いオンリーだったから、持ち帰って煮洗いしたり洗濯機で洗ったり……抜けないシミがあったら自前のものと交換したり……今思えばコレは請求して良かったんじゃないか……?)
資材を贅沢に使える状況でもなかったので、自分でも使うものだからということで完全自費でジューサーを買って試作品を家で作ったこともある。

そこまでやることないんじゃないの、となるような奉仕献身で向き合っていた、って、振り返ったら思える。
当時は必死だったし、何の疑問もなかった。
社長が投げてよこしたフルーツが眼鏡に当たってレンズが落ちたときも、「多分わざとじゃないしな、わたしもドン臭かったわ」「社長ったら、そういう細かいとこラフなんだからw」と手で歪んだフレームを押さえながら終日働いた。当然、修理代は貰っていない。

当時はね、本当にそれで不満が無かったんだ。
(眼鏡の件で謝罪が無かったのは流石にモヤッとしたが、逆に言えば「モヤッ」程度で流してしまった。)

直前まで勤務していた某医療機器メーカーがとてもヘビーな仕事だったせいで麻痺していたというのが大きい。ココから離れられるのであればどんな仕事でもやる、と思いながら離職したから。
エスモカの錠剤をモリピン内服液で飲み(絶ッッッッッ対にマネしたらだめですからね!)、今日こそ終電滑り込みダッシュしないで帰れますようにと毎日お祈りするような職場。
メーカーも業務内容はめちゃくちゃ面白かったんだけどね。拘束時間がエグすぎただけで。

とにかく、社長は救世主みたいに見えていたんだ。
あの殺伐としたクリーンルームから出してくれた、無精ヒゲのヒーロー。
社長のやりたいことはできるだけ叶えたかったし、社長と同じ方向を見ていたかった。ちょっと暴走しがちなのも、熱意と行動力が周りを置き去りにしちゃうだけで魅力だとすら思った。
社長は事あるごとに、店舗を増やしたい、ゆくゆくは野菜を楽しむレストランを開きたい、若い力で八百屋を盛り上げていきたい!という。
一生懸命だから時には声を荒げてしまうこともあるし、スタッフととことん話し合いたいあまり長時間になってしまうこともある。でもそれは悪意があってのことではないから、近くで働いている自分たちは分かってあげたいんだ、と。

…………近くにいるからこそ、異常さって気付きにくいのだと思う。
アトピー性皮膚炎が酷くなって「伝染するものではないけれど、総菜チームよりは青果チームに割り振った方がお客様の心証が良いと思う」と相談した。そんなこと気にすんなよ、とサラダやスムージーのチームに組み込まれ続けた。その時は少し嬉しくすらあった。
ガサガサの肌荒れから化膿するに至って「気持ちの問題ではなく飲食物に触れられないから、レジ打ちやバックヤード業務に回してほしい」と相談した。仕事の選り好みをするな、甘えるな、と返された。
できないなら辞めなさい、という意味かな、と思った。違った。
彼はわたしに、総菜作り業務にあたるよう指示し続けると言った。

それで、辞めた。
体質が向いていないことを分かっていて、それでもできる仕事は全力でこなそうと思っていた。社長のことも、一緒に働く仲間も、仕事も、店も好きだった。
何より来店してくださるお客様が大好きだった。できる限り力になりたかった。野菜ソムリエの資格を持つ先輩に色々と勉強させてもらった。自分でもたくさん調べて、料理して、食べ比べて、なるだけ期待に応えられる店員さんでいようとした。様々な野菜・果物で、品種ごとのおすすめの食べ方を今でも思い出せる。特にトマト、めっちゃ食べ比べたよ……!

「おねえさんがオススメするならコレいただくわ」と買ってくださるお客様。「こないだ買った○○が美味しかったよ」とご報告まで添えてくれる常連様。地元の青果店だからできる、お互いに顔の見える仕事。本当に嬉しかった。誇らしかった。

だからこそ、お客様のことではなくて、「店が回るかどうか」を第一に考えているとでもいうような社長の言葉が衝撃だった。
その瞬間、社長が語っていた
「八百屋を盛り上げたい」

「八百屋を利用する人々に楽しい、役立つ、と思ってもらいたい」
ではなくて
文字通り「八百屋」に光を当てたいという意味であったのか、と理解した。
……いや、わたしの誤解かもしれない。社長にそんなつもりはなかった可能性だってある。あくまで当時そう感じて、今もその解釈に違和感が無いというだけだけれども。
少なくともわたしは、その一言で体調的な問題をおしてまで働きたいと思えなくなってしまった。


地元の知人から安否確認あったときには、無事(?)退職済みでした

辞めてしばらくしたころに社長は従業員への傷害で逮捕されていたので
もう少し粘っていれば職場環境は変わっていたのかもしれない。
ニュースでは「経営方針を巡って「言うことをきけ」などと女性と口論になった」と報道されていた。「指導のためにやったことです」と供述していたらしい。
起訴取り下げにより前科はつかなかったみたい。逮捕歴があるということは確定判決で刑の言渡しを受けたこととイコールではない。

結局レストランもオープンしてるしね。
ANNニュースになってるの見たし、なんか偽名で令和の虎に出てたらしいと教えてもらって少しだけ見た。
(YouTubeで喋っている社長を見たら急に動悸して「なんだ当時からストレスだったんじゃん自分……」と分かったの草 そんな答え合わせある?)

彼の野菜に対する目利き関しては信頼している。
あの逮捕だって「この女なら『言うことを聞け』と壁に押さえつけたって反撃はしてこないだろう」という判断を1度ミスっただけで、元々あとが面倒そうな相手には手を挙げていなかったのだし 起訴されるまでは人の目利きも成功していたわけだ。肉体的な暴力について、わたしに向かってはなかったもんな。しばらく表沙汰になっていなかったのだから、判断としては成功していた回数の方がずっと多いはずだ。

人は変われるってほんとかな。
あの嗅覚は長所でもあったのだろうな。
モノに対してもヒトに対しても、どうすれば自分の思い通りになるか考えるのが得意なのだろう。少なくとも短期的には。

八百屋もレストランも営業中だ。
スタッフもお客様も楽しめていることを願っています。



一応書き添えておこう。
恨みとかはないです。終わったことだし。あくまで自己都合で辞めたし。あの地獄みたいなクリーンルームから出て生きていけたのは八百屋で働けたからだというのも事実だし。山下駅から店を見るたび思い出しては真顔になるけれど、怖いだけです。
もうずっと行っていないものの、(あのころから腕が落ちていないなら)野菜はホントにおいしいはずだよ。

Google口コミの低めな評価に対して「😆👍️❤️」みたいな返信してるのは流石に乗っ取りか何かだと思いたい。
それならそれでセキュリティちゃんとしなよ……

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