名前に引きずられる呪いの話。2018/2/9再録)


「芸術作品の『質』の高低の正体は何か」
質についてのトピックはとても面白いので考えていたんだけど、頭空っぽにして眺めていると、人それぞれが美や価値というものと質をあんまり区別しておらず、あるいは同一視しているのが如実で興味深かったです。けっこうドロップキックを恐れない人多い。

英語で問い直してみると少し整理できそう、という考察の通り、quality 、出来不出来の問題なのであれば明らかに、同じモチーフのものを見比べると「よい」「わるい」がある程度直感的に判別できるというのは納得できる疑問。その正体は何なのか。
value 、価値の話でもいいんだろうけど、そうするとちょっと論点が濁る感じがしてます。

問いの立て方がざっくりしているので、答える方は「自分の話をするしかない」というすごく面白い問いだと思います。
踏まえて僕は、王には王の、料理人には料理人の「つよさ」があるという、DIO氏の名言寄りのスタンスに立ちます。

普遍で不変な、絶対的なものが芸術作品に宿る、というのは幻想なのではないかと思っています。美について、というトピックが内包しているものはとても多く、美術館のようなものが存在することも誤解に拍車をかけているのではないかと思ってます。

重要なのは「審美眼」ではないかと思うのです。生きる上で色々なものを、美しい、美しくない、と判別する己の目。他人と似るものもあり、たくさんの人が美しいと思うであろう最大公約数の視覚的結晶を所蔵しているのが美術館です。僕らはそこに行くことで、自分の目だけでなく他人の目で審美されたものを見ることができる。

美術館は、「絶対的な何かの宿ったもの」を選別して置く場所ではないと思います。置いてあるものに一定の「審美眼の選別」が為された跡を感じるからそう誤解しがちだけど、本質的には「僕の思い出の品を詰めた箱」とあんまり変わりのないコレクション。

僕の思い出箱は僕の心しか動かさないけど、美術館のコレクションはたくさんの人の心を動かす。僕個人にフォーカスを合わせてしまえば違いのない話。

こんな話もあるね。

質についての議論は大いに為されるべきだと思うし、そこに大量生産のハンバーガーが最高だろうがよ、という意見もあっていい。
でも、結果として「もの」を語る姿勢が「ものを語るあなた」という「もの」になってしまうので、どれだけ切り分けようとしてもコントロールは不可能なのかも。

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