吉岡茉祐さんを推して

はじめに

Wake Up,Girls!が解散し、一年が経過した。
3月8日のSSA(さいたまスーパーアリーナ)でのFINAL LIVEを解散した日とすれば、解散が告げられた6月15日は解散が始まった日ということになるだろう。
この解散が始まった日、私は仕事をしていた。仕事のLINE通知がうるさいスマホが震え、なんだなんだと手に取れば、通知相手はLINEではなく、メールだった。

人前でなければ膝から崩れ落ちていただろう

あれから今日で二年目である。
気が付けば、割と深く吉岡茉祐推しになったものだ。
単独での仕事が増え、ラジオ番組や生放送も多くなった。
そのせいか、好きの深度はいよいよ沼という言葉が似合ってきた気がする。
ほかのメンバーとは生放送の時間もよくかぶるので、私には箱推しということが無理だったこともある。
誰かを優先しなければいけなかった。

私にとってそれは吉岡茉祐さんだった。
彼女を選んだ意味を二年経った今、振り返ってみる

作家 吉岡茉祐

吉岡茉祐は多彩だ。
声優、俳優、アイドル、作家、脚本家、演出家、作詞家。きっとこれからもいろいろなことに挑戦するだろうし、いろいろな肩書を増やしていくだろう。
そんな自分を彼女は『何でも屋』と称することがある。
彼女のファンはそれぞれどこかを主軸において、彼女を好きなのだと思うが、私にとっての軸は作家である。

もともとはライブパフォーマンスが好きで推していた。
煽り煽られ魅了され、歌声の力強さに、想いの強さに、その視線の向こうについていきたいと思った。
そんな彼女が小説を書くのが好きだというのを知ってまず驚いた。
普通、芸能人というものは、そんなことを言わないからだ。

小説を書く芸能人は山のようにいる。が、ちゃんと評価された人間はごくわずかだ。むしろ酷評されることのほうが多い。
なぜなら、その作品は割と普通だからだ。
もともと多くのファンがいる場合、その多くのファンを魅了するだけの物語を提供することはほぼ無理に等しい。
そのため多くのファンは勝手に失望してしまう。
大した作品ではなかったと。人気取りで書いたんだと。好き勝手なことをいう。

だが前提がそもそも間違っている。
前代未聞の小説など専門の小説家だってほとんどかけないで一生を終える。
普通の小説を書いて、それに共感する人が少しいて、その輪が広がっていって小説は人気が出るのだ。
普段のイメージではなく、自分の内面で思っているところを抉り出す創作という作業は、芸能人であればあるほど内容が似通わないことのほうが多い。
なので芸能人のファンと芸能人の作品のファンはイコールではない。
逆に言えば小説家がアイドルになっても多分売れないし、同じファンはつかない。そういうものだ。
簡単に言えば芸能人が小説を書いてもプラスに働くことはあまりないのだ。
もともとネタをよく作っているお笑い芸人くらいのものだろう。
だからこそ芸能人なのに小説を趣味として発表するのはなかなかに気概がある人だと思ったのだ。

そんなわけで彼女が書く小説を読みたいと思っていたし、読むのが怖いとも思っていた。
彼女の書く話が理解できなかった時、私は彼女を推せなくなると思ったからだ。
恐らくアイドルであるうちは彼女は推せたと思う。
が、アイドルでなくなったときの彼女を、今現在推せていたかというと疑問が残る。
その不安が氷解したのが、朗読劇『あの星に願いを』の公演である。

吉岡茉祐の作品

詳しくは、読みにくいのだが私のnoteでの一番最初の記事に、この公演の内容が考察とともに載っている。改めて読んでみて、考えることが多かったお話だったので、再演を期待したい。

で、それはそれとしてこの公演で私にとっての吉岡茉祐は作家としての割合が多くを占めた。
もちろん声優としてアニメで主演をやってもらいたいし、アーティストデビューだってしてもらいたい。有名になって死後には朝ドラのヒロインのモデルになってほしいとさえ思っている。
が、この公演で印象的だったのは私が小説家を目指していたころ、書きたかった作品を彼女が書いてくれていたからなのだ。

ToshiLogさんの配信でも、話されていたが、彼女はバッドエンドを好むという。
ラジオで書いている脚本も、誰かが不幸せだったり、不幸せになったりする脚本が印象には残っている。
きっとそれは、かならずしも報われない現実というものを、彼女自身がよくわかっていて、それでも藻掻き、足掻きつづける人間の行為を尊いと思うからなのではないのだろうか。

今後また長編の作品を見る機会があった時には、是非彼女の人間への想いを汲み取ってもらいたいと思う。

終わりに

推しの作品が自分の書きたかった小説に似ている。
これは書店員である身からすると恐ろしい奇跡である。
世の中には作家が無数にいる。死者も含め海外にまで手をのばしアマチュアまで含めれば、国が一つできるだけの人数はいるはずだ。
そのなかの一人が自分の目指していた作風を書いてくれている。
挫折した夢を描いてくれている。しかも自分より大きなスケールで。
もはや推すしか選択肢が残されていなかった。

自分勝手だとは思っている。
自分の夢は自分の手で叶えるものだと理解はできる。
でも、その火種に燃料を投下できる心の余裕が今私にはない。
それよりも彼女の夢を応援したい。その手伝いをしたいという気持ちが強いからだ。
まだ作家としての道を歩き出した彼女は、これからいろいろな体験をし、それを糧として新たな物語を紡ぐだろう。
その作品の一部に自分も加われればいいなと常に思っている。
ファンレター、番組への投稿、私にできる精一杯の影響力だ。
それでも、そのことが彼女の力になるのであれば、喜んで自分の人生のすべてを差し出そう。
彼女が経験できない人生を描くときに、その人生が少しでもリアルに描けるように。

また一年後、私はどんな思いで彼女を推しているのか、去年よりは楽しみである。

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