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倉敷の地霊3.

また用事があり、倉敷を歩いた。力ある土地を訪ねることは、意識する無意識のままを問わず、方違えをさせて頂いているのだと思う。(noteを始めるきっかけは姫路の町を歩き、姫路城の白く輝く遠景に一息ついた時だった。)用事をすませて、美観地区南端から白壁通りに侵入。数十年前の夏の幻を求め逍遥したかったが、GWの為、観光客や学生たちでごった返し、早々に退却、商店街に抜ける。まだ倉敷の心臓部には行きつけないが、なんとなく観光客や芸術家を惹き付けるエネルギーを少し感じたように思う。白壁土蔵群とそれらの時代を包み込む建物たちから時空を越える力、永遠なる郷愁が、人間とその先祖霊たちを呼ぶのだ。さらにその郷愁エネルギーのコアに芸術の魂と、数百年にわたり芸術に人生を捧げた人々の営みが渦まいているのだろう。招きが無ければその場所には行けても、郷愁の神殿の扉は開かないと思う。
ただ、来たときには出迎えの地霊さんたちが現れた。遠足途中の小学生たち数百人がやってくる。まるで野の小鳥たちが総動員でかわいい大合唱が小川のざわめきのように私を包み込み、通り過ぎてゆく。お次は高校生たちの団体。あの頃の友人たちと寸分違わない顔つき、声でそれらしい会話にわいている。年々歳々、学校はこのような子供たち若者たちを町に供給しているのだが、笛吹に連れ去られてしまう。倉敷行、倉敷の地霊は、どのような契機をもたらしてくれるのだろう?
なかなかあの蔵喫茶に行きつけない。

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