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【感想】NHK 歴史探偵「世界史スペシャル 古代ギリシャ」を視聴しました

2024年1月10日(火)22:00~22:45 歴史探偵「世界史スペシャル 古代ギリシャ」を視聴しました。

<始まる前に>
今日は久しぶりの世界史ですね。
ギリシャは全く知識がないのでお勉強です。

<NHKのあらすじ>
世界の歴史に大きな影響を与えた古代ギリシャ。
パルテノン神殿を調査。
鮮やかに彩られた2500年前の姿をよみがえらせる。
ギリシャを襲った古代帝国との激戦にも迫る!


■世界史スペシャル 古代ギリシャ

●スタジオで
スタジオには、ギリシャにゆかりのある、ミロのヴィーナス、ソクラテスの胸像が登場です。
芸術、哲学、民主政治まで発展していた、およそ2500年前、日本では弥生時代で稲作が広まっていく時代です。
佐藤所長「これは驚きだね」
ギリシャは、地中海の東側、半島と島々からなる、古代はポリスといわれる都市国家、アテネ、スパルタがあります。
まずはパルテノン神殿です。

■パルテノン神殿と都市国家アテネ

●パルテノン神殿
アテネの中心部、アクロポリスの丘に建つのがパルテノン神殿です。
神殿までは歩いて10分ほど、まずは大きな門、プロピュライアの門です。
門をくぐるといよいよご対面です。
紀元前5世紀、長さ70m、柱10m、巨大な大理石の建物、理想の建築美と世界中で模倣されました。
ユネスコのロゴもパルテノン神殿をかたどったものです。
現在、あちこちで修復工事が行われています。
・バシリキ・エレフテリウさん(修復事業)
神殿の壊れた部分を治す作業が行われています。
建設当時はどのような姿をしていたのでしょうか?
実は、巨大なもの、高さ12m、アテナ像が建てられていました。
神殿は女神アテナに捧げられたものだったのです。
「アテナ・パルテノス」が正式名称。
現在とは大きく異なっていたことがわかってきました。

●現在と違う姿
・エレニ・アゲラコプールーさん(修復事業)
化学分析によって古代の色彩が残っていることが分かってきました。
顕微鏡で拡大してみてみると、青、青緑の場所もあり、これらは古代ギリシャの顔料です。
どのように彩られていたのでしょうか。

●パルテノン神殿の色彩
アクロポリス博物館へ
神殿の彫刻も展示されています。
ポセイドンとアポロン
・コンスタンティノス・ヴァシリアディスさん(博物館)
「コレー」とよばれる古代ギリシャの女性像です。
女神アテナに捧げられました。
表面をX線で調べると、水色や緑の模様、髪は茶色、目は赤で彩られていました。
真っ白な大理石のイメージで語られていましたが、赤や緑など鮮やかな世界でした。
神殿内部もカラフルな模様で彩られていたことが分かりました。
・コンスタンティノスさん
「古代ギリシャ人に近づくことができて大変興奮しています」
●意外な発見
赤はエーゲ海の島、黄色は地中海キプロス島、青はアフガニスタンからもたらされていました。
「海上交易がおこなわれ貴重な顔料も海外から輸入することができました」

●神殿をCGで再現
全体が屋根で覆われ、内部は壁で囲まれた特別な空間、中には守護神アテナ像が黄金で飾られていました。
白亜の建造物と思われていたパルテノン神殿、古代は鮮やかな色にあふれていたのです。

■パルテノン神殿の強度

どうして失われずに残ったのでしょうか?
・花里利一さん(神奈川大学)
地震を記録をするようにしています。
ギリシャも日本同様地震の多い国で、地震計で揺れを記録します。
・中川貴文さん(京都大学)
神殿モデルに過去の地震データを入力します。
しなやかな動きで振動を吸収することがわかりました。
どこまで揺れに耐えられるのか、阪神淡路大震災のデータで再現します。
これでもまだ倒壊しない、耐震的には強く、倒壊までには至りません。
なぜ神殿は崩れなかったのか?
注目したのは柱の構造です。
柱は高さ1mほどの石材・ドラムがいくつも積み重なってできています。
ドラムが揺れを吸収していました。
花里さん「エネルギーが吸収され、大きな反応にならずにすんだのです」
中川さん「耐震性が結構あるんだなあというのが率直な感想です」

●スタジオで
佐藤所長「圧倒的に白のイメージだったのに驚きです」
栗原麻子さん(大阪大学)
「長い間、雨風にさらされ退色した結果です」
栗原さん「ヨーロッパでは白は高貴な色で、白であってほしいという願望がありました」
当時のアテネ人口約30万の構成です。
成人男性の市民:4万
その家族:10万
在留外国人:5万
奴隷:10万
佐藤所長「古代文明の影の部分です」

■政治に参加

●プニュクスの丘
・ジョン・パパドプロスさん(アテネアゴラ発展事業所)
「ここは民主主義を象徴する重要な場所です。民会が行われました」
半円状の席が儲けられアテネの成人男性が集まります。
直接民主主義
ジョンパパドプロスさん
「大勢が納得するまで話しあわれました。市民全員による民主政だったのです」
そこから哲学も発展しました。
その中心となったのがアゴラ=市場です。
ソクラテス、プラトンなど有名な哲学者が現れ後の学問に影響を与えます。
日本の人気アニメ「聖闘士星矢」
こちらも古代ギリシャギリシャ神話の女神アテナを守る物語です。
ギリシャ文化や芸術の分野にも広がっていきます。
ゼウス像、ミロのヴィーナスは愛と美の女神です。
後の西洋美術の礎となります。

●古代ギリシャ料理
・マンディ・カラメリさん
海上交易が盛んだった古代ギリシャ、豊かな食文化が生まれました。
古代のイカめし、中には大麦とハーブがたっぷりはいっています。
続いてタイをブドウの葉で包んで焼いた料理です。
そこに音楽が流れ、ダンスがはじまりました。

●スタジオで
佐藤所長「古代ギリシャ人は余裕がありましたね」
栗原さん「ギリシャは地中海交易のハブで、色々なものが集まり、ワインがタソスからメンデ、シチリアから高級チーズも輸入していました」
佐藤所長「古代アテネ人になりたい」
「オリンピック」
栗原さん「オリンピアという聖地で神様をお祭りするためで4年に一度競技が行われました」
「アテネとかスパルタなど、内戦状態も長く、オリンピックのときは休戦しており、アイデンティティにもなった」

■古代ギリシャを襲った危機

●アクロポリス博物館
・ニコラオス・スタンポリディスさん(アクロポリス博物館)
「ギリシャ人が半人半馬のケンタウロスと戦っているところを描いています」
「ギリシャ文明と異民族の文明が衝突したことを現しています」

●ペルシャ帝国との戦い
紀元前5世紀のはじめ、ペルシャはギリシャに侵攻を開始、ギリシャは連合軍を結成迎え撃ちます。
強大な敵にどう立ち向かったのか。
ピレウス港、貿易の拠点でした。
・ビョルン・ローベンさん(ゼア港)
秘密の場所をお見せします。
遺跡?
高さ7mの柱が立っていて、屋根が載っていました。
この間に船が格納されていたのです。
古代ドックの遺跡です。
「三段櫂船」古代ギリシャで活躍した軍船です。
170本のオールが三段に並べられたことからこの名前がつけられました。
「海の底の遺跡は地下室で見たものと同じドックの一部です」
40mにおよぶ巨大櫂船で、潜水調査から紀元前4世紀には196隻分の大船団だったことが分かりました。

●ピレウス考古博物館
衝角といい青銅でできた武器です。
相手の側面に体当りして敵船を沈没させます。
・エヴィ・ピニさん(ピレウス考古博物館)
体当たり攻撃を成功させるためには回り込む高い機動力が求められます。

●三段櫂船を再現
オリンピアス号で調査します。
まずは乗船の仕方を見せてもらいました。
ギリシャ新兵の方に再現してもらいます。
実際に漕いでみると、かなりの訓練が必要だとわかりました。
古代アテネ市民の結束力です。
3万もの市民が漕ぎてとして参加、特訓が行われました。
ペルシャ軍を迎え撃つ準備が整いました。
・アリキ・コーコウロウさん(ギリシャ海軍)
「三段櫂船は高い機動力を発揮することができたのです」
紀元前480年サラミスの海戦
・クリスティ・イオアニドゥさん(作家)
サラミス島の湾内に集結します。
ギリシャの軍船380隻に対しペルシャ艦隊は700隻という大艦隊で押し寄せました。
●戦いをCGで再現
衝角が横腹に命中、ペルシャの船は沈み、ギリシャ連合軍の大勝利に終わりました。
古代ギリシャは最大の危機を乗り越えることができたのです。

●スタジオで
佐藤所長「三段櫂船は気持ちが纏まらないといけない」
栗原さん「負けてしまえば国を失うということで必死で戦うしかなかった。自分の手で国を守ろうという意識が強かった」
「貧しい市民も発言力が高まり、さらに民主主義が発展していきます」
佐藤所長「多数決で決めていく、理想の人たちですね」

ーーーおわりーーー

次回は「ハワイ 神々と暮らす島」1月17日(水)22時放送です。

■感想

このような先進的建造物が紀元前5世紀に作られていたことに驚きます。
エジプトといい、ギリシャといい、現代と比べてもそれほど見劣りしない文明が存在していたことは不思議ですし、さらにそれが衰退していったことも不思議です。
人間というものは敵対する人がやったことを受け入れない代物だからでしょうか。
文化が違うとあっさりそれを否定するのは、いつの時代でも同じような気がします。
その点、ギリシャ文明はヨーロッパに普及していったようなので、ヨーロッパ人は、やはり優れていたということになるのでしょう。
紀元前5世紀は日本では弥生時代と番組で言っていました。
石の文化は残りやすく、木の文化は残りにくいというのも評価を下げる材料ですよね。
木は古くなると壊して新しいものを建てる。
弥生時代、掘っても墓とか土器とかしか出てこないww
一つ気付いたのが三段櫂船です。
これほど巨大な船が存在していたということは、日本でもこの時代ある程度は似たような船があってもおかしくないですよね。
どうしても弥生時代は劣った時代だという固定観念があるため、当時とくに弥生後期、日本には大きな船はなかったという言説も、再考が必要なんじゃないかと思えてきます。
証拠がないのでどうしようもないですけど。


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