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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」

2022年10月23日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」を視聴しました。

<始まる前に>
さて、次のターゲット、和田一族が餌食になるのでしょうね。
泉親衡の乱から和田合戦へどう絡んでくるのか義時と三浦義村。
楽しみです。

<NHKのあらすじ>
閑院内裏の修復を計画する後鳥羽上皇(尾上松也)は、鎌倉に引き受けさせるという藤原兼子(シルビア・グラブ)の進言に心を躍らせ、慈円(山寺宏一)と共に笑みを浮かべる。
一方、京から知らせが届いた鎌倉では、重い負担に御家人たちが反発。
源実朝(柿澤勇人)からも慕われる和田義盛(横田栄司)が旗頭となり、八田知家(市原隼人)らが集う状況を、義時(小栗旬)が苦々しく思っていた。
そんな中、信濃で一つの事件が起こり……

■プロローグ
後鳥羽上皇が火事で燃えた閑院内裏を建て直す計画を立てています。
藤原兼子は内裏の修復を鎌倉にやらせては、と提案します。
義時がどうやって乗り切るか、慈円もそれに乗り気です。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)
義時は事実上の指導者として、将軍実朝さえ圧倒する。
その決意の固さは、怯えの裏返しなのか、義時。

■御家人の不満

長沼宗政(清水伸)等の御家人たちは上皇の内裏修復に反対しています。
八田知家(市原隼人)は、言われた仕事はこなすが坂東に限ると。
和田の館に集まって御家人は承服し難いとう声が上がっていることを義時は聞きます。

■泉親衡の乱
飛騨の小縣の武士・泉親衡の乱が起こります。
泉親衡(生田斗真)が、鎌倉御所を襲って北条殿を殺そうと企んでいました。
一つ困ったことが、そのなかに、和田義盛の身内の名前、子息3人と甥1人がありました。
和田胤長(細川岳)が、所領に戻る途中に声をかけられ、気がついたときは仲間に加わっていたのです。
和田義盛は「頭を下げれば大抵のことはなんとかなる任せろ」と考えます。
大江広元(栗原英雄)は、泉親衡は霞のように消えており、後鳥羽上皇が乱に絡んでいると察します。
上皇は義時が鎌倉殿の政を行ってることが気に入らないから揺さぶるつもりのようです。
「泉親衡、多くの謎に包まれている男、突然現れ御家人たちをそそのかし、突然消えた」(長澤まさみ)

■和田の主張

和田義盛は「大目に見てやってくれ、本気ではなかったんだ、戦を起こすきなんてなかったんだ」
「良い返事がなかったんならこちらにも覚悟がある。相撲で決めようじゃないか」
「眉毛そらせようか、俺も剃るよ」
真面目に話すのが馬鹿馬鹿しくなる。
和田義直(内藤正記)と和田義重(林雄大)はお咎めなしとなりました。
しかし、和田胤長だけは許さず、命は取らないがそれなりの罰を与えるようです。

■和田義盛の館では
和田義盛の館に、たくさんの子が集まりました。
義盛は、ひと目だけでも胤長を娘に合わせてやろうと動きます。
「上総介広常を思い出しますな」(大江広元)
「最も頼りになるものが最も恐ろしい、消えてもらう・・・か」(義時)
そこへ和田一族98人が胤長の赦免を求めて、御所に集まっていました。

■合議
大江広元、三善康信(小林隆)、藤原行政(野仲イサオ)、義時が合議します。
そして、義時の考えで、和田胤長だけを残し、それ以外は帰ることにし、時房が和田に命じました。

■大根の葉
千世と実朝と政子や実衣が大根の葉を取っています。
実衣は子が見たいといい、政子も同様の意見です。
生まれなかったらしようがない、後継ぎは養子を取ればいいと実衣に言います。
のえは、鎌倉殿が側室を取らないのはなぜかと質問します。
いっそのこと北条がなるべきだ、とのえは話します。

■義時への不満

三浦義村は、力になってもいいと義盛に本気で話します。
御家人の不満が高まっていて、御所を攻め鎌倉殿に入り義時の首をとる、俺たちが世を変えると。
そこへ巴御前が現れ、義盛に耳打ちします。
「病がちだった和田胤長の娘(吉田舞香)が父に再会できぬまま息を引き取る」(長澤まさみ)

■泰時の思い
泰時は間違えば戦になる、と話しますが、義時は反発し謹慎を命じられました。
泰時のためであり、初めから討ち取るつもりだと
そこにやってきたのは三浦義村、やはり義時の側でした。
弟・三浦胤義(岸田タツヤ)は、あわよくば和田に付こうとする義村に不満です。
「そうやって生きてきた。三浦はまだ生き残っている、つまりそういうことだ」(義村)

■政子と泰時

泰時は政子に義時を説得するよう懇願しますが、義時がそれを妨害します。
「和田は、北条の敵になる野心はないはず」(政子)
「兄の望み、坂東武者のトップに北条が立つ。姉上はだまっていてもらいたい」(義時)
和田をこれ以上手をかけることはないと、義時は約束しました。
しかし、大江広元には、いずれ政子にはわかってもらうと反対のことを話します。
政子は和田義盛を殺すだろうとわかっていました。
三浦義村が政子に呼ばれてやってきました。
「私は小四郎と固い絆で結ばれています」(義村)
政子は二度同じ質問をしますが、義村は回答を変えることはありませんでした。
政子は、三浦義村を宿老に取り立てると見返りを約束しました。

■初と泰時
朝時(西本たける)は初(福地桃子)から鎌倉に呼び戻されていました。
泰時は、戦になるかどうかはわからぬと思っています。

■歩き巫女と実朝と千世

千世を歩き巫女(大竹しのぶ)のところへ連れてきました。
「仲は良いお互い相手を敬っておられるが、寂しいのう」
『幸せ三、寂しさ七、寂しさ十よりはまし」
「大戦が始まる。この鎌倉が火の海になる、由比ヶ浜に髭面の首が並ぶ」

■領地没収
「義時は、和田胤長の領地を没収、本来は同族に引き渡されるのが通例だが」(長澤まさみ)
「戦には大義名分がいります。謀反の鎮圧に向かいます」(義時)

■実朝の懇願

戦になることはないと政子は実朝に言いますが、実朝は信じていません。
和田義盛と話し戦を止めたいと願っています。
和田義盛は女装して、こっそりと実朝のところへやってきました。
「おまえは死なせたくないのだ」(実朝)
実朝は義盛の手を取り、「いつまでもそばにいてくれ」と懇願します。
「和田義盛は鎌倉いちの忠臣だ、それは私が一番よく分かっている」
「私に免じてほこを収めてくれないか」
義時も義盛も実朝と政子の前でこれ以上兵を挙げないことを誓いました。
しかし、義時がまだあきらめていないことを政子は見破ります。
「戦をせずに鎌倉を立ち直してみよ!」(政子)
義盛は義時にこう語ります。
「みんな死んでしまった、政はお前に任せるが、力を必要なときは俺が討ち取る、これからも支え合っていこう」

■その頃和田一族は

朝比奈義秀(栄信)、和田義直(内藤正記)、和田義重(林雄大)等は挙兵の準備が整いました。
三浦義村は、味方の御家人たちに「この戦は失敗する、俺が寝返るからだ」と話します。
和田軍は、これより御所に攻め入り父を救い、大江広元に討ち入ると気勢をあげます。
そこへ巴御前が起請文「決して和田を裏切らない」と書いてくれと強制します。
義村は、いいだろう書こうと応じました。

■義時は
トウ(山本千尋)を呼び、和田の館にいる義村に、引き上げるよう伝えることを命じます。

■和田の館では
三浦義村と八田知家は「小四郎すまん」和田に味方することを決意します。
トウは、それを陰から見つめていました。
「鎌倉最大の合戦である和田合戦勃発」(長澤まさみ)

----つづく----

次回は第41回「義盛、お前に罪はない」10月30日放送です。

■感想

和田合戦の原因は、後鳥羽上皇の策略だった。
それを主張するため、泉親衡を源仲章にするという暗喩を折り込みました。
たしかに、京都朝廷の策謀説はありそうですね。
義時なら、諜報活動で和田の不満は事前に把握していたでしょう。
単純な和田義盛はそれに気が付かないかも。
インテリジェンスは重要です。

■勝手に解説

・和田合戦
建暦三年(1213年)5月、和田合戦が起こります。
鎌倉幕府における有力御家人の和田義盛が反乱を起こします。
頼朝の死後、梶原景時、比企能員ら、鎌倉殿の13人であった御家人が次々に討伐され、更に頼家が幽閉された後に死亡、北条時政・義時父子によって実朝が将軍に擁立されます。
執権北条氏が幕府の実権を掌握し始めました。

頼家の遺児を担いで北条義時を排除しようという陰謀が発覚、和田義盛の甥・胤長、義盛の子・義直、義重が逮捕されます。
義盛は三浦を含む一族98人を連れて御所に押しかけ、赦免を懇請しますが、胤長は陸奥国に流罪になり、屋敷も没収されました。
一族の若武者は激怒して実力行使を主張、義盛も戦闘態勢に入りました。

始めは姻戚関係にあるため和田義盛側についていた三浦義村は、戦闘の直前に義時側に寝返り、それが影響し和田義盛は敗死しました。
この和田合戦により、鎌倉殿の13人の一人であった和田義盛が消え去りました。
ここにおいて、北条氏の執権体制が確立しました。

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