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【感想】NHK 歴史探偵「南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家」を視聴しました

2023年7月12日(水)22:00~22:44、歴史探偵「南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家」を視聴しました。

<始まる前に>
今日は全く知らなかった北条時行と北畠顕家がテーマです。
漫画で人気だとか。どういった人物なのか、楽しみにしています。

<NHKのあらすじ>
あの人気漫画の主人公・北条時行。
わずか10歳で鎌倉奪還に成功した少年の素顔とは!?
最強の貴公子・北畠顕家も登場!
激動の南北朝時代を駆け抜けた2人の若君の戦い。

■南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家


■スタジオで
天皇と朝廷が南北に分かれて動乱が続いた時代
後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成です。
佐藤所長「全員知ってる」
北条時行10歳(諸説あり)は執権で北条義時の子孫です。
北畠顕家16歳と言われています。
なぜ10歳の少年が鎌倉を奪還することができたのか?

■南北朝の若君たち 北条時行

・人気漫画家・松井優征さん
『逃げ上手の若君』の主人公が北条時行です。
「故郷を幼くして滅ぼされ復讐のために放浪し、一気に乱を起こすのは漫画の流れです」
数えて8代目、北条一族の子として生まれました。
8歳の時後醍醐天皇が倒幕の兵を上げます。
足利高氏が謀反、後醍醐天皇に寝返り、鎌倉幕府が陥落、北条一門が滅亡します。
2年後、鎌倉を奪還したのです。
諏訪が鍵でした。

●諏訪へ
・石埜三千穂さん
「諏訪大社が大事で、匿った当事者は武将であり領主であり神官でした」
時行は北条の忘れ形見、この地に隠れ幕府再興を目指しました。
イノシシと鹿の首の剥製です。
諏訪神党と言われ強大な武力を誇るようになります。
御射山といい、御射山祭というお祭りをやった会場です。
「コロシアムと思ってください。武芸を競って、信濃の国で時行を担いだ武家が集まりました」

●建武2年(1335年)中先代の乱
鎌倉街道を進撃、5万騎に膨れ上がり、挙兵からわずか1か月、10歳の少年が鎌倉奪還に成功しました。

■スタジオで
・本郷和人さん(東京大学)
「諏訪の力が強かった。武の神様に一致団結した諏訪神党強かった」
佐藤所長「担がれた神輿だったんですかね?」
本郷さん「大切なのは闘うための大義でした」
しかし、足利尊氏が黙っていませんでした。
鎌倉の大仏が関係ありました。

●鎌倉歴史文化交流館
大仏が時行の戦いに与えた影響を知る手がかりがあります。
・長澤可也さん
VRゴーグルを付けてみてみると、鎌倉大仏の映像が映し出されました。
鎌倉大仏は作られた当初、大仏殿の中にありました。

●大雨が
大仏殿は倒壊、500人の兵が死んだと言われます。
・鈴木由美さん
「仏様のバチが当たったんじゃないか」
その時押しかかってきたのが足利尊氏軍でした。
時行が奪還してからわずか24日目、鎌倉が尊氏の手に落ち、時行が行方不明になりました。

■スタジオで
本郷さん「諏訪の神のお怒りを受けたのと同じように受け取ってしまった。今風に言うと持ってる人でした」
「死を恐れない、不利な状況になってもいつもニコニコしている大将の器を持っていました」
行方不明になった時行はどうなったのか分かっていません。

■南北朝の若君たち 北畠顕家

●福島県伊達市の神社へ
・菅野家弘さん
「天皇が東北地方を治めるため北畠顕家を派遣したのです」

●霊山神社
菅野さん「北畠顕家は舞の名手で名門の公家の生まれでした」
顕家は朝廷の重臣・北畠親房の息子で東北地方の当地に大抜擢されます。
・松井さん
「貴公子というのが合う武将、貴族でありながら武士を従えてかっこいい人は居なかった」
きっかけは、足利尊氏を討ち滅ぼせという後醍醐天皇から届いた命令でした。
しかし大きな問題がありました。
東北から京までは800km、顕家は驚異的な早さ、わずか22日で踏破します。
本郷さん「馬のせいだと思います。東北は良い馬が育つ地でした」

●東北の牧場へ
十和田市馬事公苑
在来馬を飼育しています。
武士にとっては憧れの馬、南部馬と言われています。
しかし、近代に絶滅、南部馬を再現したものがあります。
注目したのはその大きさ、151cm、当時の標準的な在来馬が130cm程度です。
この地域の馬産を重要視、それらを掌握しようとしていたことがわかります。

■スタジオで
佐藤所長「戦は馬が大事だよね」
大河ドラマで一度だけ描かれたことがあります。
後藤久美子さんが『太平記』(1991年)で北畠顕家を演じています。
本郷さん「遅れたやつは置いていく、置き去りです。その地域で俺も入れろと加わってくる」
兵たちの食料も現地調達でした。
『太平記』巻十九
「顕家の軍勢が通ったあとは家はおろか、草木の一本も残らなかった」

二人の若君、最後の戦いが始まります。

●霊山(福島県)
顕家はここを拠点にしました。
後醍醐天皇の政治に不満を持っていた武将に包囲されます。
霊山から再び東北平定を行おうとしました。
しかし7ヶ月後、再び後醍醐天皇から命令が下ります。
もう一度、朝敵尊氏を討てという命令でした。
再び京へ
130日を費やしてしまいます。
原因は尊氏に味方する武士が増えたことにありました。
岡野友彦さん(皇學館大学)
「後醍醐天皇は決めたことはすぐ変わってしまう。お気にいりの女官・僧侶を優遇しました」

●鎌倉
・久保田和彦さん
山の上にある杉本城、足利軍が立てこもった鉄壁の守りが敷かれていた城です。
思わぬ味方が現れます。北条時行です。

■南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家

打倒尊氏という共通の目標のもと巡り合った二人の若君。
3日に渡る激戦の末、鎌倉攻略に成功します。
後は足利尊氏を倒すだけのはずでしたが、尊氏につくものが増え続け抵抗が激しくなります。

●大阪 堺
一通の手紙を書きました「相次ぐ戦乱で諸国の民は疲弊しています。税を免除し、恩賞を功績の有るものに公平に分配し、誤った政治を今すぐ正すべきです」
北畠顕家戦死、21歳の若さでした。
一方の北条時行、三度鎌倉を奪還します。
しかし15年後、足利軍に敗れ命を落とします。享年28。
・漫画家の松井さん
「絶対にそこは引けない戦いだった。折れない心と強い意志を持った武将が浮かび上がってきます」

■スタジオで
佐藤所長「短かったけど太い生涯だったと想像します」
本郷さん「南北朝の争いは続きます。収まるのは3代将軍足利義満のときです。ずっと戦い続けています」

顕家が後醍醐天皇に当てた手紙には「九州・関東・山陽と北陸に統治の拠点を置くべし」とありました。
本郷さん「京都が何しろ大事な時代、もっと地方に目を向けて後醍醐天皇を支える者を育ててくれという意味で書いた」

ーーーおわりーーー

次回は「聖徳太子 愛されるヒミツ」7月19日(水)放送です。

■感想

足利の力に隠れて目立ちませんが、立派な武将だったんですね。
如何せん時代が悪かった。
北条時行は、執権北条氏の力が衰え、見る影もない時代に生まれた可哀想な武将でした。
10歳で最前線で戦う運命にあるのも可哀想過ぎます。
執権・北条氏の権威を借りるにしても人材がいなかったんでしょう。
そして北畠顕家も、公家に生まれながら東北に飛ばされ不幸な運命にさいなまれます。
14歳で大抜擢され公家として順風満帆の生涯がスタートしたかと思われましたが、戦乱に巻き込まれます。
一寸先は闇という言葉が浮かんできます。
武将でもないのに武将として戦ったことが、人生の転機だったんでしょう。
うまく公家として生きながらえることもできたでしょうから。


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