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・怒りがエンタメ化してしまう前に

最近のインターネットは怒りがある種のエンタメ化しかけている空気を感じる。今までの長い歴史で、人々は何をエンタメとし何を心の拠り所として生きて来たのか振り返る。


・現代ビジネスの対談

こんにちは、ハヤカワ五味です。

ちょうど先日、こんな感じの対談が公開されました。

この対談をしながら感じたことなのですが、時代は変われど喜怒哀楽の中の怒りや、「人の不幸は蜜の味」的なエンタメの存在というのはあるのだろうなあと思いました。

個人的にはそういったエンタメ性によって建設的な議論がふっとばされてしまうのはもったいないので、また新たなエンタメによって怒りよりも面白く手軽なものがあるじゃんとなってほしいところです。

ここで考えたいと思ったことは、そもそも人間は今までどのようなエンタメを楽しんできたのか。一般大衆的な平和なエンタメももちろんありますが、今回はあえてポジティブなだけではないエンタメの存在に目を向けてみたいと思います。

・テレビの話

引用:1日99セント以下で暮らす人々のほとんどは、餓死寸前とは思えない行動をとっています。餓死寸前なら手持ちのお金を一銭残らずカロリー購入に使うはずです。しかし彼らはそんな行動をとりません。(中略)地方に住む極貧層は、全消費額のうち36%から79%しか食べ物に使いません。(中略)しかも残金すべてが他の必需品に使われているわけでもありません。例えばインドのウダイプール地方の典型的な貧困家庭は、アルコール、タバコ、そしてお祭りへの支出を完全にやめれば、食費はあと3割増やせます。
一般的に、貧乏な人々が生活を退屈から救ってくれるものを最優先しているのは明らかです。それはテレビ、あるいはちょっとした特別な食べ物だったり、あるいは単に砂糖のたっぷり入った紅茶かもしれません。


以前深津さんが勧められていて読んだ「貧困の経済学」という本。

読んでいて繰り返し出てきたのが「お金はなくてもエンタメを優先する」「暇こそが一番の敵」といったニュアンスの表現でした。

貧困というと、電子機器などは一切なく食べ物などに全てのお金を使っているような印象ですが、そのような厳しい貧困は一部で、多くは「テレビはあるけれど、その結果十分に栄養を取れない」とか「甘いものやお酒を買った結果、栄養のあるものにまでお金を回せない」といったような貧困であるそうです。

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