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よく分からないけどあったかい



 猫であるあなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
「一緒に遊ぼう」「なでてほしい」と、足元を八の字に歩きまわるあなた、ただ歩くだけのことにどれだけ神経を遣っているか分かりますか。
 アイロンをかけていると、決まってハンガーをかじりに来ますね。それはいいとします。でもアイロンをかけたばかりのワイシャツの上に乗ってかじるのはいただけません。その後「なんだか機嫌を損ねたようだ」と、終わりがけに膝の上に乗ってくるのもやめてください。
 あと、何度も言ってますがキッチンには上がらないでください。電子レンジやケトルのおいてある棚も同様です。
「イケる!」と思ってジャンプして飛び込んだ電子レンジから、ガラス製のあの下でくるくる回るやつ落としたの、忘れませんからね。ド派手に割って、そのために片付けに1時間費やしたこと。でもその時あなた、始めは台所の影から見ていたけど、だんだん近づいてきて「危ないから来ないで」と追い返されて、でも時間がたつと戻ってきて、を繰り返しましたね。自分のしてしまった事に正面から向き合う姿勢はすばらしいと思います。けれども怪我をすると危ないのです。手袋をしていても穴があいて指が切れました。幼い頃は母親がやっていたこと、大人になるとガラスを割るなんて機会がなく、結果私にとってこれが初めての割れたガラスを片付ける経験でした。

 それにしてもいつの間に台なしでキッチンの高さまで飛べるようになっていたのでしょう。普通できるようになったことを褒められるはずなのに、私はいつも叱ってばかりでしたね。突如目線の高さに現れたあなたに、本来は「いらっしゃい」と言うべきだったのかもしれません。身体が大きければみんな大人という訳ではないんですよ。

「待て」と言えば待てるようになりましたね。
「持ってきて」はまだできませんね。
 テレビでテニスを見ている時、バウンドしたボールに食って掛かるあなたの後ろ姿は、とても勇敢で、とても邪魔でした。

 ソファーで横になっている時、足元にいれば文句を言われないことを覚えましたね。その後、いくらお腹の上でふみふみしようと、散々ふみふみしておきながら結局人の首元でモーター音を鳴らしながら眠りにつこうと「一旦眠ってしまえばこっちのもの」と思えるあなたの脳みそは幸せな解釈でできていることに、いい加減気づくべきです。小さな声でうめく私の声に、うれしそうににゃあにゃあ返している場合では無いのです。

 そんなあなたがご機嫌に尻尾を立てて歩いているだけで、その後ろを、それまで聞いたことのない高い声を出しながら我が家の家長がつられてやってくるのだから面白いものですね。始め「おかゆおいでー」と言っていた同じ声が「おかゆ来てよー」になって「お願い来てよー」「明日誰がご飯あげるか分かってるー?」「今来てくれたらおやつあげちゃう!」と飴と鞭を振りかざす様子はとても滑稽で、その必死さにいっそ愛おしさを覚えるようです。手玉に取る、というのはこういうことなのですね。

 そして再び甘えに私の足元に寄ってくると、家長もつられてやって来ます(自ら来てもらうというのは諦めた模様)料理をしているので正直動きづらいです。そんなせわしない足元で、猫と家長が座り込んで仲良く遊んでいます。正直邪魔です。
 決して広いとは言えなくても、一辺一メートルに収まらなければいけないほど我が家の敷地は逼迫してはいません。ある場所は有効活用しましょう。効率的に動きましょう。
「にゃあ」
「おかゆー」
 ムダでした。キッチンに二人と一匹、ひしめき合うようにして動き回って、効率も何もありません。危ないからあっち行って、と言ったところで、猫が動かなければ家長も動きません。どうしようもないですね。私もそう思います。

 でも、あなたが来てから、足元に気をつけて歩くようになってから、強制的に歩く速度を制限されるようになってから、心なしか生活にゆとりができるようになった気がします。あなたと窓際に座れば、犬は散歩している様子も、鳥が飛んでくる様子も、全て会話の種になります。話す口調がやわらかく、ゆっくり、やさしくなっていくのが分かるのです。あなたのふかふかやわらかい毛並みを撫でていると、ふと泣きたくなることがあるのです。
「ほら鳥さん」と指さした時、初めて指さした先を向いた時のことを覚えていますか?
 犬が通ったのを見て、私を見上げて「にゃあ」と鳴いたこともありましたね。その時確かに「and you?」のやりとりができたのです。

 あなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
 本来そのまま玄関に向かう足が、ケージの前を通るようになりました。ご飯は足りているか、水は充分か、トイレはキレイか。あなたの生活環境が整っているか確認してから出かけるようになりました。
 あなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
 おてんばなあなたがトイレをひっくり返して、その傍でうなだれているのを見たとき、思わず笑ってしまいました。その日は早く出社する予定で、いつもより早めに起きたというのに、これでチャラです。大迷惑です。
 あなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
 いい加減キッチンは乗ってはいけない場所だと覚えてください。
 あなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
 食べる前から口を鳴らしているのを見た時、夜与えるウエットフードが歯に良くないのではないかと歯石除去用フードに替えてみると、それまでの「空くちゃ」がウソのように無くなりましたね。それにしても人の手に歯の側面を擦り付けるのは、歯の掃除の一環ですか? それとも頬から出るにおいをつけているのですか? 分かりにくいのですあなたは。
 私は忙しいのです。書きたいし学びたいし打ちたいし慈しんでいたい。あなたにばかり振り回されてはいられないのです。だから

 できる限り長生きしてください。
 仕事から帰って玄関を開けた直後「にゃあ」という大きな声を聞くたびに毎日ホッとします。
 本当はどうでもいいのです。留守の間キッチンを蹂躙しようと、トイレの砂が散らばっていようと、絨毯がむしられていようと、カーペットの下の畳で爪を研がれていようと、あなたさえ元気でいれば。
 寂しい思いをする時間の長い一方で、それでもここで生きられて良かったと思えるなら、その他些末なことなどどうでも。本当にどうでもいいのです。だから

 できる限り長生きしてください。
 あなたが家に来てからというもの、まっすぐ歩けなくなりました。
 でもあなたを失ったら、もっとまっすぐ歩けなくなるのです。そのことを分かっていてください。

 あなたの起こすイレギュラー、他力。
 いつの間にか傍にいて、いつの間にか膝の上で寝入っていて、いつの間にか家族になっていた、小さな鼻先でぐいぐい突っ込むようにして懐に潜り込んでいたその愛らしい姿に、いつの間にか心ほぐされている自分がいます。
 心を許すとか、信じる信じないとか、そういうことではないのです。ただ、何というか、よく分からないけどあったかいような。私にとってこれは非言語の領域と分類した以上、それ以上の思考は放棄しました。

 よく分からないけどあったかい。
 そんな、まっすぐ歩けないこと、いたずらに目を光らせること、失敗に落ち込んでいる姿を目にすること、できないことができるようになったのを知ったこと、わざわざ狭いキッチンに集結すること、あなたの元気な鳴き声を聞くこと、あなたが無防備に眠りにつくこと。

 4月23日は愛猫おかゆの誕生日。
 我が家にやってきたおてんば娘はこの度一歳を迎えました。
 子猫卒業です。これからは少しだけ落ち着きを覚えた大人猫を目指しましょう。
 そして末長く仲良くしましょう。お誕生日おめでとう。
 


 あなた一番の下僕より。






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