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葉桜に春雨



 葉桜、と口にする時の人の顔は、一様に寂しげだ。
 桃色一色を美とする感性ばかりが育ち過ぎたせいで、かえって最盛期の短さを憂う時期こそがメインにも思えて来るくらい。だから付属として春雨は葉桜を促すものとしてしばしば悪者にされやすい。
 けれども、そんなやわやわした黄緑というのは、盛夏に向けて溢れんばかりのエネルギーを蓄えたものであって、決して寂しいものではない。桃色に黄緑。まだ染まりきれないそれは、さくらもちの色合い。

 我が家には1年半前の9月から「おかゆ」と名付けた元ノラのお猫様がいる。最初こそよく記事にしていたが、改めて紹介しなければいけない位間が空いてしまった。変わらず元気な甘えただ。
 そんなおかゆは2歳を迎えようという近頃になって、ただの甘えたからちょっとした成長を見せ始めた。私自身、前はただ座っていればよかった。ただソファで寝っ転がっていればよかった。勝手にやってきて、勝手に人の上で寝入っていたからだ。
〈猫たちの睡眠は、初恋と同じほどひたむきだ〉とフランスの作家ジャン・グルニエ氏が言っていたと、村山由佳さんの「晴れときどき猫背」経由で知ったのだけれど、まさにそのままのひたむきさで必死に寝入っていた小さいのが、最近少し離れた所からじっと見上げていることが増えた。

 にゃあ。

 そんでたまに鳴く。「なあに?」と映画版呪術廻戦のリカちゃんばりにやさしく聞くが、じっと見上げているだけだ。ちょっとよく分からないので再び本を読み始めると、隣接する和室に行ってひゃーひゃー鳴き始める。ほっとくとまた足元に戻ってきてじっと見上げる。自身の膝をポンポン叩いてもそれには及ばない。チガウ、とばかりに見上げている。これもまたひたむきさか。仕方なく腰を上げる。

 キッチンに立つ時も、今までは足元でこれまたひゃーひゃー鳴いていたのだが、ある時ようやく静かになったと思って顔を上げると、3メートルも離れた木製の足の長い机の上にいるのと目が合った。かわいい、と思うより少しだけゾッとする。その、物理的な距離ではなく目線の高さを合わせようとする様。ながらではなく、自分にこそ時間をよこせという強欲は、飼い主に似たのか。さて、

 毎年2月から4月、5月頭にかけて子猫の市場が大きく動くという。発情期、出産がために、この時期普通に生活していてもよく遭遇する。しかしその多くは車にはねられ、すでに冷たい塊になってしまっていて、そのたびに胸が痛む。自分と母親を別の個体だと認識して、食、住以外にも明確に要求できるようになるまで成長できる子は、はたしてどれだけいるのだろう。

 日々、寂しい思いをさせる時間こそ長いものの、目立って病気もせず、それなりに成長している我が家のお猫様。せめてこの子だけは大事にしようと思う。食べ物がない中、あなたは長引いた春雨によって生かされた子だから。

 葉桜。成長を始める小さな命。
 毛布にくるまって、ただひたむきに眠っていた「さくらもちよりあったかい生き物」が目を覚まして始める主張。全力で自分の存在を喚く。その音が、この家にも必要だった。

 これからもいっぱい遊ぼうね。


 ねぇ、おかゆ。






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