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【4、暑苦しくて何が悪い】独り言多めの映画感想文(井上雄彦さん『THE FIRST SLAMDUNK 』)



 人は何故怒るのか。少し前までそれは「傷ついた裏返し、防衛本能として生じる感情、発散法」だと思っていた。まあそれはそれでいいとして、別の可能性に思い当たったので発表してみる。
 人は「己の持つ『正義』に反した行為が許せなくて」怒る。あまねくその「正義」には後ろ盾があって、それはルールであったり大衆の流されがちな感情であったり。とにかくこの場でいう「怒る」は、決して純粋な一対一ではなく、正確には「一個人対その背景に一種暴力じみた力を伴った個人」だから後者本人にとって意図せず、強制力が発生する。正しさで叩かれたら痛い。なすすべがない。その痛みを、ある人は共有し、ある人は別の形で発散しようと試みる。ある人にとっては分かっていてできないことがあり、正しくないと分かっていてもそうせずにはいられないことがある。
 定点カメラをずらせば、あるいは加害者は被害者にもなりうるのかもしれない。


 赤木剛憲は正義の人だ。
 聡明で責任感があり、教師からの評価も高い。そんな男が、例えば後輩として入ってきたら。「先輩しっかりしましょうよ」なんて言われた日には。いやそうでなくても、今からどう足掻こうと絶対勝てっこない実力を持った男が同じ部活に入ってきたら。
 正直この作品中に出てくる「先輩」でなくとも、少なからず歪むと思う。それは正統な自己防衛。別に手を抜いていた訳じゃない。けれど「絶対的に」違う。それは例えばその競技を高校から始めるのと、小学校からやっている違いのような。幼いうちから身につけた当たり前と、頭で考えて体現するのではどうしてもタイムラグが出る。

〈宮城ならパスを出していました〉

 まとめて悪様に罵られた時、赤木は「先輩」に向かってそう言った。リョータもまた、幼少期からバスケをしていた。その二人は言葉にせずとも前提、当たり前が近かった。

 一般的に「勝利して成績をおさめる」ことが悪に分類されることはない。それは誰の目にも明らかな善。しかしだからと言って「勝てないことが悪」という訳でもない。〈負けたことがある〉というのは〈大きな財産になる〉
 赤木には叩いている自覚がなかった。加えて「少なくとも全国制覇を口にできる程高い場所」から話をして分かり合おうとしていた。それまであった「ただバスケがしたい」「ただ勉強の合間の息抜きがしたい」という多様な目的の一切が押しのけられ、「勝利至上主義」という正義を押し付けられる。
 ただ、資本主義として社会を回すというならまだしも、部活だ。推薦を狙うのでなければ社会主義に準じても許されるし、漫画で明記されている通り、上を狙いたいというのならそもそもそれを推しているような高校に行けよという話である。一般人に全国制覇を押し付けられても、確かに迷惑以外の何ものでもない。さて。


 散々言ってきたが、じゃあ赤木は間違っていたのか。
 100%の正しさは存在しない。けれど赤木もまた、バスケが好きなだけだった。
 思うに、ヤスが赤木と同じ行動を取っても大ごとにはならなかった。大きな身体。印象的なのは、その背中を丸めるようにして頭を下げる姿。しかし一般に大きいと言われても、陵南、翔陽、海南、山王どこにでも自分より大きい男がいた。周りに「恐怖政治が始まる」と笑われても、今の自分では歯が立たないことは分かっていた。

〈もったいないな あのセンター〉

 熱が。ごうごうと燃えているものが、冷たい風を受ける。
 それで消えてしまうようなものならどんなに良かったか。
 皆が皆じゃない。自分の味方をし、理解しようとするチームメイトもいた。けれど本当の意味で共有まではできなかった。そういう意味では、赤木からしたら、誰しもどこか「報われない、かわいそうな存在」として自分を見ている可能性があった。
 無傷ではない。けれども赤木が見ていたのは全国制覇という夢の如き目標であり、そのためにはワンマンと言われている自分でさえ圧倒的に力量が不足している事実に、ただ焦っていた。

 本物はこんなものじゃない。
 仮想の相手、虚像を相手に攻撃パターンを増やす。そこに一体どれだけの想いが内蔵していると思う。外から見ればピエロだ。変人だ。一人遊びだ。
 けれどいなかった。本当に同じ温度でこの競技と向き合う存在が。チームメイトといながら、ずっとずっと孤独だった。

 本物は謙虚だ。それはただでさえ一人ズバ抜けてしまうことで、自然相手に不快な思いをさせてしまいがちだから。だから時に過剰なくらい謝る。まるでその差をならすように、頭を下げる。
 赤木の印象は「頭を下げられる人」だ。頭を下げられないばかりに、些細な問題が炎上することは、大人の世界でも多々ある。増してや赤木は高校生。高校生でここまで潔く頭を下げられる人を見たことがあるだろうか。
 赤木は当然のように頭を下げる。大切なものを守るために率先して頭を下げ、後輩にも下げさせる。大切なものは、一人では守れない。この競技は5人でないとできないのだ。生じるのは「責任」。そのために5人の、ひいては部員全員の行動を、ギリギリだろうと「可」内におさめる。目的は「バスケをするため」

〈ゴリ!〉
〈ダンナ!〉
〈赤木〉
〈キャプテン〉

 バカタレ共が。どうしようもない問題児軍団が。
 けれどもコイツらは、
 自分をかわいそうだと思っていない。
 自分を独りよがりにさせない。
 ピエロにも、変人にも、一人遊びにも。



〈行くんだろ、全国〉



 それはきっと、後頭部を叩かれるようにして一瞬起こったハレーション。
 夢が色づく。熱が。ごうごうと燃えているものが、守られる。
 目標は全国制覇。
 けれどそう掲げたのは、必ずしもそれだけが目的じゃなくて。

 赤木はきっと仲間が欲しかった。
 同じ温度でこの競技と向き合う、見上げも見下しもしない。
 ただそれぞれが横並びに、己が好きと正面から向き合って、
 成果を上げることにこだわるような、そんな敬意で繋がれるような。

 鼻の奥がツンとする。喉の奥が熱くなる。
 それは腹の底から湧き上がる思い。感謝。
 センターは最終ラインからチームメイト全員の背中が見える。その背中をどれだけ頼もしく思ったか。


 泥にまみれて得られるものがある。
 頭を下げ続けてきて、やっと手に入れられたものがある。
 目的は「バスケをするため」違う。
 目的は「コイツらとバスケをするため」


 暑苦しくて理解されずとも、ずっと守ってきたもの。
 どうしようもなく不器用な、この競技に対する自分なりの愛情。
 赤木剛憲はもう、怒れない。





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