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(5/9)秋の空に星花火、2


 合間見上げていた天井。
 ドーム型のテニスコートは中高で、実に13メートルあるという。例えるならマンション4、5階相当。その高さ。

 試合の合間、突如脳内に響いた笑い声。
 変わらない規定の枠組み。だから違うのは本人の気持ち。
 ルールに則って、けれどその枠組みの端をつまんでぐいーんと引き延ばして遊ぶかのように。その笑い声は高く、高く響く。

 学生の頃、遊びでどこまで高く打ち上げられるか競い合ったことがある。分類すればロブに違いないのだが、言うなれば(笑)がつくような。「それ」は別に大した回転量は含まない。攻撃性を持つ訳でもない。ただただ高いだけの打球。
 思わずこぼれたは笑み。

「それ」はいつでも打てるものじゃない。手元に来たボールの回転量、伸び、バウンドの高さ全ての条件が揃って初めて打てるもの。
「それ」は「見て」と、ただただ笑い合うためだけの打球。





くらえ。





 完全な縦のスイング。自分自身も跳ねるようにして打ち上げる。
 的は、大きい。10メートル×11メートルの範囲内に落とせばいい。
 加えて、自由度が上がることで心が窮屈を感じなくなると、リラックスした身体のパーツひとつひとつが連動して、より楽しさを求めるようになる。全身の覚えている距離感覚に従って放った、高さ10メートルの打球は、自らが最も美しいと感じる場所に落ちる。すなわち。
 ベースライン1メートル手前。
 対面のコートが騒がしい。見慣れない打球にメガネ君があたふたしている。
 返球はこっちのベースラインを割った。



 KPが目の怪我をした時、それまで両手で大事に抱えていたものを全て取り落とす感覚があった。今まで積み上げてきたもの。その中にどれだけキレイなものがあろうと、例えば今後KPが悲しい思いをするならいらないと本気で思った。

 ただ、何となく視力が戻ってきて取り落としたものに目をやると、キラリと目を引くものがあった。つまんだひとつ、それがあの時打った、お尻に(笑)のつくようなロブ。
 それまでほとんど苦しいだけだった試合の中で見つけたそれは、今かざしてみてもキラキラと輝く。まるでその一球のためにこれまでやってきたかのようだった。


 好きで始めた。楽しむためにテニスを始めた。始まりは楽しむためだった。私はこの競技が好きで、楽しみたくて、そのために努力してきたことを思い出す。まるで実力の伴っていない自分でも、それでも誰しもが笑っているコートで、自分も同じように笑えたことをうれしく思う。そうして、笑っていたらいいなと思う。

 打ち上げた時、味方前衛として見上げたななコが「何だアレ」って。対面のコートが騒がしくなるのを「そらそうなるわな」って。前衛のポジションからトップスピンのロブを見上げた私みたいに。


 金色の額縁におさめられた一枚の絵。
 上がったのは自己肯定感。
 私は、今の自分が一番好きだ。


 だからこれは予感ではなく確信。
 近い内にきっとまた、会う。





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