見出し画像

見返りなんて求めてなかった【feat.元初級】(後編)



 そう。「もう充分幸せなんだよ」の「もう」はいつからだという話だったな。
 結論。「6年前、再びラケットを手に取った時から」
 あの日から眠れない日々は始まって、結婚して「やさしくなったね」なんて言われた人柄蹴り飛ばして、その週の出来が翌週の機嫌に著しく影響するようになって。
 でもたぶん、本気で何かを愛そうとする時、代償なしではいられなくて、
 むしろ代償が発生するからこそ、より純度の高いものに昇華されていく。


 ソウさんがいた。
 ビッグサーバーがいた。
 メガネくんがいた。
 バコ打ちトップスピナーがいた。
 さつきちゃんがいた。


 個々に残している。残さなかった部分も描き出せるだけの余剰がある。書けと言われれば一人一人のテイクバックからフォロースルー、弾道まで書き出すことができる。フォア、バック、ボレー、サーブ全てだ。やだ、自分で書いてて超キモイ。確実に「おまわりさんこの人です」案件。
 ただ、「マジでダメな時」もあるけど、たぶんもう私は戸塚イップスを抜けていて、また調子悪くなったら、それはそれで別の要因だ。私自身、もうメガネくんに依存していない。だから例え打つ機会があったとしても、今ならきっと真ん中だけを抽出できる。


 見返りなんて求めてなかった。
 先日健康診断でBMIの値の低さを指摘された。このままの体重だと、将来骨が脆くなって、寝たきりになる可能性が高いとのこと。けれど一方で、


「そうですか。そうして定期的な運動によって骨の強度が保たれていれば問題ないですけど」


 週1か2でテニスをしていることを伝えると、「ひとまず近くの整形外科で骨密度を測るように」とした上でそう言われた。「定期的な運動」という括り自体、何もテニスに限定したものではないが、いかんせん私の脳みそは都合よく捉えることに長けていて。

 見返りなんて求めてなかった。けれど、この競技によって守られているものもあるのだと知った。ラケットの丸。私の足りない要素を補ってくれる。私自身、実はラケットを持っている時の自分が一番好きだ。靴からその日のファッションのコーディネイトをする人がいるように、なんかいい塩梅にバランスが取れる気がして。

 本来投げ出したくなるような自分さえ嫌いになれないのだから、完全にどうかしてる。「人は自分を好きにさせてくれる人を好きになる」って言ってたの、どこのどいつだよ。この競技は自分を好きになる余裕なんて与えてくれない。こちとらいつだって振り回されてばかりだ。でもだからこそ夢中でい続けられるのかもしれない。ホント、下手な悪女よりタチが悪い。

 見返りなんて求めてなかった。これから求めるつもりもない。
 ただお礼が言いたい。走る理由をくれてありがとう。長い人生、どうせ走り切らなきゃいけないなら楽しい方がいいに決まってる。
 罵るつもりで、不満を言うつもりで、結局感謝で終わるのは、なんだかんだ言いながら、それでも悪からず思われたいことの裏返しな気がしてる。嫌な女がにじむよ全く。


 見返りなんて求めない。
 私はもう充分幸せだ。
 もう充分、出会った。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?