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自由であることを知る

つい数年前まで、あらゆるものにがんじがらめに縛られていた。縛られていたものは幻想に過ぎないけれど、圧倒的なリアルで、私は縛られていた。

子どもから思春期に至る時、親の視線が鬱陶しかった。親に縛られている感覚が嫌だった。親から逃げるように寮生活に入ったけれど、私は他人の視線から自由になることはなかった。

社会人になってからは、親の視線は上司の視線に取って代わり、私をがんじがらめに縛った。ある時、私は他人の視線で自由が効かない自分に息苦しさが限界にきて、精神の病へと突き進む。

そこからは実家に帰り療養生活に入る。

療養生活の中、心から湧き上がるものを捕まえて実現していくことを通して、少しずつ自分の軸ができてくる。圧倒的な親の庇護のもとではあったが、その屋根の下、思春期とは違う自由を享受して、心は少しずつ癒えてきた。

ある時、母親と大喧嘩をする。そして二度目の家を出た。そこから、自分の物語は動き出す。

一人暮らしをはじめて、二度目の正社員試験に受かり、結婚して、子どもが2人できて、、、。

社会生活を営む上で、私は幾度となく、自分で作り出したカルマに縛られて、ストレスを溜めることが多かった。なぜ人は心を病むのだろうか?どうしたら心は楽になるのだろうか?

私の実存のかかった問いの答えを探す読書の旅が始まった。

親が熱心なキリスト教だったこともあり、ニーチェを読んだりもした。自己啓発本に救いを求めたこともあった。なかなか良い本に出会えない日々がつづいた。子育てが少し落ち着いて、余裕が出てきた頃に、京都大学の皆藤章の講演をYouTubeで出会う。事故のような出会いだった。

この講演を聴いて何かが動き出した。すぐさま本屋に行き、河合隼雄の「ユング心理学入門」を購入して、貪るように読んだ。河合隼雄ワールドにのめり込む中で、「ユング心理学と仏教」という河合隼雄の本にも衝撃を受ける。仏教が自分の実存のかかった問いに答えを与えてくれるかもしれない。

そして、中沢新一との対談本、「ブッダの夢」、「仏教が好き」という本に出会い、ゲームチェンジが起こる。中沢新一というまたしても凄い人に出会ってしまった。「レンマ学」も読んだがまだまだサッパリわからなかったが、なにか掴もうとしていた。レンマ学から、南方熊楠という巨人も見えてきた、中沢新一の講演会も馳せ参じて、中沢新一を五感で感じた。南方熊楠記念館も家族で旅した。中沢新一からは折口信夫とも出会う、キッカケはYouTubeだった。

折口信夫を辿っていき、志摩の大王崎の灯台も家族で行った。なにか霊的な直感を得たような心持ちになった。

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折口信夫のことを調べていく中で、Twitterでの衝撃的な出会いがあった。+Mさん(@freakscafe)を折口信夫のツイートからフォローするようになる。ここでもゲームチェンジがあって、+Mさんの毎週のツイキャスを欠かさず聴くようになる。そうすると、+Mさんの話の中に通底する主題のようなものが、私の実存を賭けた問いにシンクロして、どんどんと私を楽にしていく。

あらゆる自分の作り出したカルマのようなもの、他人の視線、妄想、そこから完全に自由になり、遊ぶように生きること。心が自由になること。

私はあれだけがんじがらめに縛っていた何ものかから、自由になろうとしている。まだまだ道半ばかもしれないけれど、かなり楽だ。このまま、読書と共に、さらに自由な精神を享受していきたい。

私の中に起こった変化は、2018年の皆藤章の講演からだ。僅か3年。3年という月日で、ここまでも人の精神は自由になるものか。そのくらい、大きな変化が起こっている。

これからも私の実存を賭けた問いの答えを探す旅路は続くけれども、なにもかも楽しい。生きているというのはこんなにも楽しいものか。あらゆるものに意味を求めて、意味の重さに押しつぶされそうになっていた頃と違い、軽やかに躍るように生きている今の自分が少し不思議にも思う。人はこんなにも変われるんですよ。

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