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徒然日記2021.5.06

GWも終わり、今日から仕事。毎年恒例の仕事の始動不良を起こす。なんとか騙し騙し一日を終えた。

またしても凄い本に出会った。竹村牧男先生の『唯識、華厳、空海、西田』(青土社)という本である。仏典が引用されている部分は読みにくいけれど、その素晴らしい世界に魅了された。唯識、華厳、空海まで読んできたけれど、華厳のパートでの事事無礙の世界に引き込まれ、さらに空海の世界観に感動した。この世にある、あらゆる多種多様なものは、それぞれが礙げることなく、相互に関係し合いながら、変容しながらダイナミックに生起生滅していっている。それぞれが大日如来から発生している形態に過ぎないと私は理解した。大日如来とは、生命の根源、太陽の神様、毘盧遮那仏、奈良の大仏さまである。奇しくも、同時並行で読んでいる、映画監督篠田正浩さんの本『河原者ノススメ』(幻戯書房)に奈良の大仏が建立されるまでのスペクタクルが描かれていた。古来は飢饉や不作、疫病などがあると、呪術的な呪いの仕業と考えて、大衆の不安を収めるために、寺社や大仏が建立されることがあった。井筒俊彦の『言語と呪術』(慶應義塾大学出版会)にも、言語が本来備えている呪術性について詳しく述べられている。昔の人は呪術に従って生きていたと言っても過言ではないだろう。むしろ呪術抜きの現代の方が歴史は短い。未開社会からごくごく最近まで、呪術は生きることのほとんどを占めていたはずだ。柳田國男の『遠野物語』などは、最近まで残る呪術的な思考の残滓と言っても間違いではないだろう。私の読書は、その呪術を辿る旅路と言っても良いかもしれない。現代の息苦しさは、呪術抜きに「生きる」ことを語る、という無理な荒技をしようとしていることに問題の中心があるように感じている。つい江戸時代まであった、妖怪などの言い伝えが、とても魅かれるのは、失われた未開社会からの呪術を再起させるほどの豊かな物語を語ってくれるからに違いない。

私は自分の読書を始める儀式に宇多田ヒカルの「道」という曲を流す。瞽女の系譜の宇多田ヒカルの曲を聴いていると、自然と呪術の世界に誘ってくれる気がしている。


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