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【西暦を語る】世界一売れた本

改元だ令和だお祭りだ。

そんな空気が、テレビをつけない私にも、SNSで伝わってくる。

このお祝いムードのなかでは、有名人が「令和になったからってなにも変わりませんよね、僕は西暦つかって暮らしてますし」という投稿をすると、一部の人たちからは「空気読め」みたいなことを言われてしまうらしい。自分と違う意見の人のことをそっとしておけないという、なんだか窮屈な世の中だ。

私もどっちかっていうと「西暦つかって暮らしてます」派だ。

改元に便乗した企画でnoteを書いているところだが、今回はあえて西暦の話を書いてみる。そのためには、世界一売れたと言われているあの本のことを語らないわけにいかない。

世界一売れた本とは

それはキリスト教の経典・聖書という本である。全世界での累計発行部数は諸説あるという迷宮具合だが、ちゃんと「世界一売れた本」としてギネスブックに載っている。

私自身も、3~5冊は持っているはずだ(この部分からして諸説ある)。なんでそんなに持っているかというと、かつてミッションスクールに通っており、毎朝礼拝があったので、各自1冊買うことが義務付けられていたんである。そして日曜日は近所の教会に行く(ように学校で指導されていた)ため、自宅にも学校用とは別に教会用の聖書があったし、何かの際にもらったりもした(高価な本なのだが、意外ともらえることもある)。

クリスチャンでもなく、キリスト教について軽く勉強したことがある程度のシロートの私だが、「聖書のことって、日本ではあんまり知られてないよな」と思う事が多い。

聖書の特徴

ライフスタイル次第では、一人で何冊も聖書を持っているのは決して珍しくない。

そして、「全部読みきった」という人があまりいないのも特徴だろうか。(少なくとも私の周りにはいなかった気がする)

キリスト教の教会においてある聖書は(宗派にもよるかもしれないけれど)、新約聖書と旧約聖書という二つの聖書が合体したもの。

旧約聖書は、キリストが生まれる前の書物。創世記(天地創造、ノアの大洪水)とか出エジプト記(モーゼの十戒)とかが載っている。

新約聖書は、キリスト誕生からそれ以降の話。「キリストの伝記のようなもの」+「死後の弟子たちの動向」で構成されているため、旧約聖書よりは読みやすい。

ちなみにユダヤ教では、旧約聖書だけを経典としている。キリスト教は、ユダヤ教がもともと信仰されていた地域でキリストが始めた新しい宗教だったのである。

西暦の話

そんな聖書に載っているわけではないが、西暦というのは、「キリストの誕生から何年」という数え方の暦だ。

紀元前のことはBCで表し、「Before Christ」の略。

紀元後のことはADで表す。ここは忘れていたのでネットで調べたところ「anno Domini」というラテン語で「その年の主」という意味だった。

ここで、私が子どもの頃に先生とかわした問答を乗せておく。

私「紀元1年がキリストが生まれた年ってことですか?」

先「いや、正確にはもう少し前、紀元前4~6年くらいに生まれていたらしい」

私「えっ、それ、西暦ってやつ間違ってません?

先「…」

私「間違ってません?(詰問)」

先生としては、『自分にそんなこと聞かれても』の極致だったと思うが、今回あらためて調べても、やはり正確にはキリストの誕生は紀元1年とは数年ズレているという記述が見つかった。つまりキリストが幼児の頃を紀元1年とするのが西暦というものらしい。

2019年という数字を見たら、「ああ、あの方は、2019年前に幼児だったんだなあ」と思ってみよう。

さらに、私はその後妹から「キリストの誕生日は年末(クリスマス)でしょ。生まれた年が紀元1年になるの?年明けからは紀元2年?生まれる前の11月とかは紀元前1年?」と詰問されたことにより、みずから『自分にそんなこと聞かれても』の極致を味わうことになった。

ちなみに紀元0年というのはないらしいので、紀元前1年の次にいきなり紀元1年が来るという考え方だ。どっちにしろ数年ズレてるらしいんで、いまさらどうでもいいなとか思ってしまう面倒くさがりな自分がいる。

世界創造紀元

ちなみにキリスト教の教会の中でも、全部が西暦を使っていたわけではない。ギリシャ正教(東方正教)という宗派の中では、長らく世界創造紀元という暦が使われていた(今も一部の教会で使われているという)。

こちらは創世記の一番初め、天地創造が元年として数えられている。西暦でいう紀元前5508年の9月1日をはじまりとする暦で、今はこちらでいうと7527年である。より長い時の流れを感じたい人にはこちらがおすすめなのかもしれない。

『今』って『いつ』なのか

西暦とか、和暦とか、世界創造紀元とか、時の数え方には宗教や文化的価値観の影響が色濃く反映される。今回キリスト教方面を適当に調べただけでも、世界にはかなり色々な種類の暦が存在していることが伺えた。太陰暦、マヤ暦など、聞いたことがあるだけでもいろいろな時の記し方がある。

身近なところでは、令和になっても「今年は昭和でいうと何年か」と気にする人はいると思う。本人の中で「それこそ私が基準とすべき時」と思えたのなら、西暦でとらえようが和暦でとらえようがその人にとって正解なのであろう。

そして、「暦がいろいろある→面倒くさいから統一しちまえ」という合理的な世界よりも、「一人ひとりの捉え方が違うのだから、いろんな暦があってもいい」という多様性を受け入れる世界の方が、生きやすそうだなと私は思う。もちろん暦の場合、任意の日時についてきちんと特定・変換できることは便宜的に必要だが、いろいろな思想や価値観が共存して、自由に化学反応していくのが『今っぽい』とも思う。

ダイエットは明日から

という有名な言葉がある。その「明日」という時期が具体的にいつのことをさすかは人によって違うとも言われている。

そんな指摘も、多様性の担保された世界では当たり前になっていくと思うのだった。

……ちなみに私は、おいしそうなものが目の前にあったら食べる派だな。

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