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確かなものはぬくもりだけ



おばあさんはよく転んだ。歩いては転び、転んでは歩いていた。家に帰るといっては、お気に入りの鞄と杖を持ち、もはや叶うことのない願いを胸に、所在なさげにただ歩いていた。繰り返す転倒の中、試行錯誤の上、様々な対策を行っていくが、それでもおばあさんは転び続けた。その歩いていく様は、人として僕らに何を問うていたのだろうか。

やがておばあさんは転ばなくなった。いや、転べなくなったというほうが適当だろう。少しずつ足腰が弱り、自分ではほとんど歩けなくなった。介助して辛うじて歩く日が続く。もう車椅子でいいんじゃない?という現場の声と、いや、今日は調子が良かったから歩けるよ!という同じく現場の声。あえてどちらの対応でいく、という断定はせず、歩ける日歩けない日、この人となら歩ける日、誰とでも歩けない日、という色んな状態が織り交ざった、まるで汽水域のような揺らいだ日常が続いた。それは、そこにおばあさんが日常生活の決定に、ささやかでも関与しているのだ、と僕らに思わせるものだった。

やがてついにおばあさんは歩けなくなった。つまり二度と転ばなくなったのだ。その事実に内心安堵する自分もいたと思う。だが、転ばなくなったおばあさんは、そのことをどう思っていたのだろうか。

それと同時に、介助する量が圧倒的に増えていった。食事排泄入浴と、全て自分で行えていたものが、全てにおいて介助が必要となった。それと同時に、おばあさんに触れる機会も多くなっていく。
太かった足や手が、日々ともに過ごしていく中で、少しずつ枯れるように細々としていく。だが、そこには確かに温かいものがあった。
介助が多くなり、触れることが多くなっていった時、自然とその体温を感じる時が多くなった。おばあさんは言葉もほとんど発することがなくなっていったが、それでもその温かさから、確かに私はここにいるのだと、雄大に語りかけるようだった。


そしておばあさんからぬくもりが消えた。
最初はその冷たさが理解できなかった。でも、すぐさまそれは実感として、僕の身体を駆け巡る。
おばあさんは、もう本当に転ばなくなったのだ。
おばあさんは生きているうちでは叶わなかった、家に帰るという願いを叶えることができたのだった。

これから先、介護の世界では業務の効率化が声高にうたわれ、機械による介助への介入が始まる。
おばあさんが転びそうになった時、駆け寄ってくれるだろうか。
おばあさんが転んだ時、大丈夫だよと手を差し伸べてくれるだろうか。
おばあさんが歩けない時、僕となら歩けるよと傍らに寄り沿ってくれるだろうか。
おばあさんのその命が尽きる時、そっとその手を握ってくれるだろうか。



確かなものはぬくもりだけ。
自分とは違う、冷たくなったその手を握り、おばあさんは確かに僕らとともに居たのだ、そう思えた。



人は老いて病んで死んでいく。
願わくばその最後は、この世で最も信用できる、自分とは違う体温を感じながら過ごしてほしい。

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