五十嵐 羽矢斗

日々を重ねて

五十嵐 羽矢斗

日々を重ねて

最近の記事

爆発

爆発させるには蓄積が必要。 風船に息を吹き続けると破裂する。空気をたくさん蓄積させないと破裂しない。 心の爆発も同じ。急にすごいトゲのある言動をする裏には怒りだったり疲れだったりストレスの蓄積があるはず。 大事な人を失うと悲しみ崩れるのは、その人への愛情がたくさん蓄積されていたから。 急に大きなトゲが出た(爆発)人を見て思った。 ああ、我慢してたんだなあと。 我慢=蓄積かな。 我慢は必ず限界が来るから、溜め込まないで。 爆発は四方八方に広がってどうなるかわからない

    • 間に立って

      輝くのは他が暗いからかも。 みんな明るかったらその輝きはわかりずらかったり。 結局人は比較しての認識しかできないのかな。 だからこそ「間」の目線はきっと大事。 どちらでもあって、どちらでもない感覚。 自分でもはっきりはわからないけどさ。

      • 腹八分目

        飯を食うのが好き。 美味しいものたくさん食べたい。 「焼きそば弁当」ってみんな知ってるかな。 昨日の昼、それの普通サイズ2個食ったんだよ。 まあうまかったんだ。大好き。 そして夜はいい所のディナーを食べに行った。 ディナー自体は楽しめたんだけど、最後のお会計の時お腹痛くなっちゃってトイレへ。 お店を出た後も腹痛に苦しめられた。 お昼の「焼きそば弁当」が原因だとすぐわかった。なかなか便通が来ないなと思ってたから、そういう時は大概食べ過ぎたあと急にやってきて腹を苦

        • 格好つけ

          「格好つけ」は貫けばどうなるか。 見栄えを強く意識し続けた結果どうなる。 その意識した格好良さ、見栄えは何基準で選んだものなのかで責任が変わってくる。 世間が決めたものか、自分が決めたものか。 世間が決めたものならば、他人のせいにできる。 自分が決めたものならば、自分のせいにできる。 他人のせいにはしたくない。なるべく自分が責任を負いたい。 でないと、自分の人生がどこかへ飛んでいく気がする。

          生む、育てる。

          生みの親は尊敬する。 でも育てれないならそれは残念。 人間の話じゃなくて、概念とか発明、環境の話。 生み出したから、始めたから、作り出したからすごいって、それは軽率。 場合によるけど、生むことは瞬間的と言える気がして、育てるのはその逆。時間がかかって効率良くはなかなかいかない。 そう考えたらやっぱり時間は限られる、体は限られる。 どっちがすごいとかじゃなくて、どっちもすごいって話。 そしてどちらも大切にしたいものですね。

          生む、育てる。

          他人の目を気にする暇がない

          先日京都へ行った。 目的は蚤の市で古道具などを仕入れることだったけれど雨で中止だったから観光がメインに。 自転車でぶらりと京都の街を。 北海道とは違って道が狭い印象。人も多かった。特に観光名所付近はたっくさん人がいた。 住宅街の方も行って暮らしぶりというか、京都で生活している人達の様子も見たけどなんだかみんな札幌の人と違う。 これはあくまで感覚だけど、なんか京都の人たちはあんまり他人をじっと見ないというか、自分のやってることに集中してる感じがするのです。 僕の推測

          他人の目を気にする暇がない

          何となくそれ、ほったらかしにできない。

          何かを選ぶ時、決める時はよくよく考えて答えを出すのか、それとも何となくで答えを出すのか。 何となくと言うとテキトーと言われることもあるけどそうでもなかったり。 これまたはっきりと申し上げれませんが、何となく=直感のようなものこそ、その人らしさを形作る気がする。 そしてこれは気力がいる場合もあるだろうし、忘れていると劣化するものだったりするんじゃあないかな。 これも生きる力(ちから)。

          何となくそれ、ほったらかしにできない。

          未来は光っていて欲しいな。

          一枚の紙に思いを託して。 市民の思いを胸に働く。 仮初めの平和をこなすも、時だけが過ぎて老人の町へ。 島国の光は段々薄れて、影が広がり闇になる。

          未来は光っていて欲しいな。

          段々と鈍ってゆく

          何事もスピードや手軽さが求められる時代。 連絡手段も音楽も、飲食も服選びも。 LINEだったりストリーミングサービス、ネットショップとかとか。 最近思うのが早食い癖は良くないってこと。 美味しいものなのに、ガツガツ食うと表面の味しか感じれない。素材の味はどこへいった。 早食いは感性を鈍らせてしまう。 みんなは何となくわかるでしょうか。この感覚。食だけじゃなしに。

          段々と鈍ってゆく

          ゴミかと思ったら

          職場は飲食店だ。 毎日朝、開店準備の際は床掃除をする。掃除は嫌いではない。 度々出くわすものがある。 それは取れないゴミ。床に居続けるゴミ。 やつは黒いんだ。 それは掴むことができない。 出くわすたび思う。 「また、こいつかっ」 そう、やつはゴミではなく染みだ。拭いても取れない汚れだ。 今書いていて思った。もうちょっとしっかり雑巾で擦れば取れるかもしれない。 でも、あの汚れがなくなるとやつとのやり取りともこれでおさらばになる。 そう思うと少し寂しい。 毎日同

          ゴミかと思ったら

          間 あはひ

          ものとものとの重なるところ。どっち側ではなくて、どちらも共存してる場所。 この言葉が好きだし、ピタッと自分にハマる気がしている。

          資本主義ごっこ

          資本主義とは何か。よくわかっていないのに使っちゃいけないのかもしれないけど。 上司になって偉そうにする、何となく高級ブランドを身につける、食べ物を大量に余して捨てる、原材料など背景を意識せずなんでも美味しければそれでいいと思う、流行り物ばかり追う、出回る先のことを考えずただ沢山作る、夜の街で欲を満たし続ける、中身がないのに表面で気を引かせてものを売る.....とかとか。 全部資本主義ごっこ。 人それぞれみんなやってる遊び。もちろん自分も。 資本主義社会で平和が保たれて

          資本主義ごっこ

          北海道ポテンシャル。

          数ヶ月前のことだけど友人と世間話をしていた時のある一言が忘れられない。「北海道は土地(食など)に頼りすぎてる所あるよね」と。 北海道のいい部分ではあるけど、食や観光に頼りすぎるのは何となく寂しい気がする。 もっと、豊かさを「自然」に求めるんじゃなくて、「家とか町」の中で生み出せるように、感じられるようにならないかなあ。人の手によってね。自然を活かしつつ。 もっとモノから情緒の豊かさを得たいのだ。 北海道の場合は歴史から生まれる風情みたいなものはどうしようもないけど、手仕

          北海道ポテンシャル。

          貧乏くさいと知りながら

          貧乏くさいと思う言動って人それぞれ違うけどさ。 例えばショートケーキを買ってケーキを囲むフィルムのようなものに付いた生クリームを隅々スプーンで取って食べようとすること。これはどうだろう。もしかしたら人によっては一生懸命生クリームをすくう姿が貧乏くさく見えるかもしれない。 でもすごく生クリームが好きだとしたらそういう行為をするかもしれない。もしくは食べ物を無駄にしたくないという意識を高く持っている方なのかもしれない。シンプルに何か残っているのがビジュアル的に嫌で綺麗さっぱり

          貧乏くさいと知りながら

          地球人と社会人

          何となく分けるなら、 地球人は 土を、水を、植物を、動物を、景色を、太陽を、自然を、感情を守る。 社会人は 倫理を、法を、会社を、他国を、自国を、他人を、家族を、理性を守る。 こんな感じで分けるのは正直違うんだろうけどさ。どっちの見方も大事かなあと思っているんだよね。みんな生きるためにはね。

          地球人と社会人

          無意識に近い心遣い

          札幌の雪は美しくも手強い。冬の時期は毎日のように降ることもあり常に雪は積もっている状態。そうなってくると除雪は暮らしの付き物となる。 お家の周り、歩道、車道などスコップだったり、除雪車だったりで雪を除ける。 例えばお家の周りを除雪するとなると、家のすぐ横、縁の方に除けたりすると思うけど、目の前の公道に除けたりはまずしないと思う。 これって「誰かの邪魔にならないように」っていう心遣いからくるものだと僕は思っている。これは無意識に近いこと。バスを並んで待つ、靴を丁寧に脱ぐ、状

          無意識に近い心遣い