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マクルーハンプレイ

地球村という言葉を提出したのはマクルーハンだけど、彼によるとこれはよくあるスローガンみたいに、「みんな仲良く」ということを意味しているわけじゃない。

村社会で噂話とか陰口が絶えなかったみたいに、ネットで繋がった世界では、世界全体で噂話や陰口が絶えなくなるということらしい。世界規模で人がつながった時、地球の裏側の人とか外国の王子様とかを、隣村の権平さんみたいに噂するようになった。

Twitterとか2ちゃんねるとかを見たら、まったくその通りだ。

「グーデンベルグの活版印刷は、人を権威的にした」とマクルーハンは言う。印刷物の内容が人を権威的にしたんではなくて、印刷物というメディアそのものが人を権威的にしたと彼は言う。

僕らは普通、メディアの伝える内容の方に注目してしまうものだけれど、彼はメディアという媒体自体の持つ力に注目したのだった。そんな着想が最高に面白い。

印刷物の時代から、ネットや映像の時代になって何が変わったかと言うと、権威の時代から噂話の時代になったんだ。

フェイクニュースがまことしやかに飛び交ったり、元アメリカ大統領が罵詈雑言を吐きまくったりしたのも、彼らに品性がないのが問題だったんじゃない。印刷物から、ネットの時代へとメディアの主権が変わってしまったせいなんだ。

言葉は悪いけれど、どんなに技術が進歩しても人は野蛮なままなのかとも思う。地球村ってのは、そんな彼一流の皮肉だったのかもしれない。

それにしても、本当のことってのはいったいどこにあるんだろうかと思う。権威が本当のことだと僕らは思わされていたけれど、ヒトラーもマルクスも文部科学省も、別に本当なわけじゃなかった。かと言って、隣町の権平さんが不倫した話が本当のことであるわけない。

「メディアとは人の感覚の延長であって、はっきり言えば武器なんだ」と彼は言った。それを使うと簡単に人をだませる、人を支配できる。そんな武器。

武器なんかじゃあ本当のことを手に入れられなかったんだ、きっと。

マクルーハンは「文明が極限まで発達した時は必ず、音を立ててこれまで経験しなかったような崩壊の仕方で滅び去る」って言ってた。

今、メディアという武器が極限まで発達してしまって、地球はもう一度、村みたいになった。権威が失墜して、僕たちは噂話みたいな怪しい話でも自由に発言できるようになった。

だけど、E.フロムが『自由からの逃走』で言ってくれたみたいに、あの時、人は自由の重みに耐えられず権威におもねてしまった。ヒトラーやムッソリーニが台頭して、大戦が起こったわけだ。

極限の自由は極限の権威の方向へ振れやすい。今、僕らはフロムの時代とは比較にならない自由を得ているけれど、人はこの自由に耐えらえるんだろうか。

耐えられないとしたら、マクルーハンが予言した、「これまで見たこともないような崩壊」を迎えることになっちゃうんだ。

ベーシックインカムやら、格差やら、はたまたコロナ、ワクチン、ロックダウンとかなんやらで崩壊直前の資本主義をみんなが見ているから、それでなくても何かありそうだってひしひしと感じてる。

武器なんかじゃ、本当のことを手に入れることはできないんだよ。

すべての武器を楽器に。

音楽の世界にはそんな素敵な言葉があるけれど、本当のことはきっとそっちの世界にあるんだと思う。

封建主義が終わり、資本主義が終わり、音楽時代が始まる。

No music, No Life

こいつは字義通りのガチだったってことか。

まさかこんなTシャツの落書きが人類生き残りの鍵だったとは、今まで軽く馬鹿にしてたけど申し訳なかったぜ。

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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

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