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🏊‍♂️🫠🎷📯🇬🇧💬

5歳で始めた水泳は、中学3年生をピークにモチベーションがなくなり、最後はもはや嫌いだった。毎週ほぼ休み無し、小学生の時から高校生と同じメニュー。GW、夏休み、年末年始、全て返上。今となっては何が楽しかったのか思い出すのさえ難しい。それでも、水泳が自分の日常から消えて"休み"が以上に増えた時、あれだけ毎日忙しない中、自分の弱さに向き合ったり、チームメイトと切磋琢磨(したかどうかは忘れたけど多分した)したりしたその経験が、紛れもなく自分の糧になっていることに気づいた。ハードスケジュールじゃないと結局ソワソワしちゃうのは間違いなくこれのせいだ。意外にも体力と鋼メンタルがあるのもこれのおかげだ。

小学2年生で始めた音楽は、中学、高校それぞれ入学のタイミングでやめようと思った。(何故か知らんが)優先させようと思ったのは水泳と勉強だった。それでも続けたのは、ただ一緒にやってきた友達との時間が尊かったから。集団行動は苦手だけど、音楽をやる時のみんなの団結感は本当に大好き。趣味程度、別にこだわる理由はない、そんな感じで緩く、結局大学まで続けている。こだわる理由は無いとか言いながら、やり始めると結構とことんやっちゃうのが楽器なんだけど。音楽が見せてくれた世界は自分だけでは到達できなかった世界だと思う。人の気持ちが分からなくて小説が読めなかったり、ファンタジーの世界は現実味が無さすぎて嫌いだったり、そんなぼくが、唯一自分の感性を養えた場所だと思う。たかが十数の音とその配列と、それを奏でる数種の楽器の組み合わせ、そして奏者と聴衆の感性で、同じ曲でも無数の解釈ができるのが面白い。

それでもやめようと思った瞬間があった水泳と音楽。
でも英語はなんか違う。
年長で始めてからというもの、嫌いになった瞬間、熱中することを辞めようと思った瞬間はない。意識的にそうしたわけでもなく、自然とここまで大好きで続けてきた。なんとなく面白くてはまって、小学生で初めて海外に行ってもっと使えるようになりたいと思い、英語をきっかけに自分の世界が広がるのが何より楽しくてしょうがなかった。(今もそう。)日本の義務教育や高校教育は、英語をさほど重視していないようにも思えた。ド田舎の公立だったからな。英語に費やせる時間が、特に大学受験を控えた高校時代は相対的に少なくなった。でも英語はずっと自分の味方だった。英語は難しい。まだまだ全然上級者レベルとは言えない。それでも、自然と努力して使いこなせるようになりたいというモチベーションをくれる。それは英語が見せてくれる新しい世界に他ならないと思う。そんなこんなで今日も、英語を読み、聞き、書き、そして話す。

水泳を通して得た、ハードスケジュールをこなす体力と鋼のメンタル。
音楽を通して得た、一生の友達と感性。
そして英語を通して得た、英語という一生の味方とまだ見ぬ世界への好奇心。

それがぼくの全てかもしれんと思ったら、ほんとにやっとって良かったと思う。まじ親に感謝。

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