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イヴ・クライン -時を超えるイヴ・クラインの想像力 ー不確かさと非物質的なるもの-

1月初旬

金沢21世紀美術館
企画展
『時を超えるイヴ・クラインの想像力 ー不確かさと非物質的なるもの』

割と近くにいるのに、中々この美術館に出向かないのは、理由があって。
現代美術が少々自分には難しいというところ。

美術史の変遷の中で、近代の現代アートは、表現の対象、表現方法が統一的ではないため、そのもの自体と初対面したときに、自身の知識や感性の不足からか、作者の伝えたいことが見えず、もやもやした気持ちなる。

だけど、今回の『時を超える~』(以下、イヴ・クライン展)のポスターに映っていた衝撃的な青色の人体に興味をそそられたので、約1年ぶりに行ってみた。

特設サイト


金沢21世紀美術館 特設ページより


イヴ・クライン(1928-1962)
フランスのアーティスト。ヌーヴォーレアリスムの一員。芸術の脱物質化を求め、新しい技法や大胆な挑戦を行った。青の顔料「インターナショナル クライン ブルー(IKB)」を自ら開発したことで知られる。

21世紀美術館 特設サイトより

非物質的な金

上にあげた、青色の人体と、その背面にある対照的な金色の作品などが展示されているフロア。イヴ・クラインは、金色に対して物質的な存在感→精神性や象徴性を見出していたそう。それと対照的に、青色に対しては、空間を表現するものとしてとらえていたそう。

この展示を見て、息を飲めないほどの衝撃と、を味わった。作品の中の人間はすべて男性であり、様々な人生を持ったような人物に思えたが、全員両手を強く握って、その空間に耐えている、もしくは、言葉を借りると精神性の無いように私は思えた。死ではなく、無と表現したほうが正しいと思う。
精神(金色)と対照的な空間(青色)を表現し、イヴ・クラインが表現したい色たちの役割を十分に感じることができたと思う。

青色に注目すると息が詰まり、金色に注目すると穏やかになれた。金色と青色と単純に思えばそうなのだけど、色に役割を持たせ、それをモチーフにあと仕込めることでその役割を他者にも直感的に感じさせてくれる。今まで、モチーフや描写に気を取られた鑑賞をしていたが、色の役割に注目した鑑賞も面白いなと感じた。

展示6

こちらはIKBで染められた空間に、3本の電光が空間を貫いている。そして不気味な重低音が響き渡っている。最初に入ったときは、ウっと苦しくなるような体験をした。また、不気味な重低音は、水の入った容器からしているようで、水→海の海底を感じ、より一層苦しくなった。無、虚無な空間、というか空間は常に虚無であると思う。そこに生を見出すのって、生からしか生まれない。まるで、空間の一部になり、自身の意識も失うような不気味さが、あの空間にはあった。これも青色が作り出しているのか。イヴ・クラインの世界に自分が堕ちていることを感じた。

展示6 3本の電光、不気味な音

白と空虚

白色のモノクローム作品が並ぶフロア。様々な世界各国のアーティストが表現する白の世界。色彩としての白は、充溢(じゅういつ)した無、空虚を表し、論理化しえない偶然性や想像力、無意識をはらんでいる。青色の空間は息ができないような苦しさがあったが、白色の空間は、何もないが心地の良い空間に感じた。その中でも特にギュンター・ユッカー作「変動する白の場」は印象的だった。一枚の大きいキャンバスに、並べられた白い長い釘のようなものが、不規則な方向を向き、観る位置を変えることで様々な模様、動きが出る作品。白一色ではあるが、そこに流れという動き(生)を感じた。モノクローム作品が主だったが、白の中で表現するものが様々で時間を費やした。

まとめ(?)

火を使った技法、女性の裸体に絵の具を広げ、キャンバスに押し付けた人体測定、色それぞれに役割を持たせ物質化した空間。この世に存在する物質や色について役割や個性を見出し、私たちがそれらを感じることのできるようにあらわされた作品たちに圧巻だった。見ることだけでなく、空間も使い作り出す世界に招いてくれるような展示が多く、数時間であったが没頭することができた。何気なく見ている、使っているもの、この世界に存在している物質について改めて存在を感じさせてくれる企画展だった。

今年も去年に引き続き、画家の人生を感じながら鑑賞する美術鑑賞をしていきたいし、各県の美術館にたくさん足を運びたい。そして感じたことを記録し、自身の感性の広がりを感じることのできる1年にしたいな。



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