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小説「山小屋の階段を降りた先に棲む蟲〜下〜」

小説『山小屋の階段を降りた先に棲む蟲~下~』

私たちは十七歳の男と女だった。ノイズのある映像は、傷モノで所々乱れている。そんな映像が、私の頭の中で上映されては夏の思い出として本編が始まった。

雨森が白いワンピースを着てたのは最初で最後だったような気がする。いつもジーンズに無地のシャツで、学生時代の彼女は女の子らしい格好を好まなかった。

そんな雨森がワンピースを着ていた。もしかして、覚悟していたかもしれない。彼女と付き合って三年目の夏、私たちは自然と意識していたのだろう。

私に至っては、そのことしか頭になかったと思う。彼女と早く交わりたい。それは健全な男の象徴でもあったし、白いワンピースを着て、山小屋で会うことは、少なからず意識しない方がおかしいだろう。

「笹岡くん、ちょっと後ろ向いてくれる」とハニカミながら雨森は言った。

裏山の山小屋は、二人にとって秘密の場所だった。私たちは夕暮れ時まで二人で過ごしていた。キスまでは経験していた。

それ以上は進展していなかった。だけど、それ以上それ以上と意識はしていた。それが夏の日の今日なんて、当時の私は、胸の高鳴りを抑えることもできなかった。

後ろを向いたまま、彼女の合図を今か今かと待ったものだ。それは蝉の鳴き声が聞こえないほどの高鳴りだろう。

それ以上に、私の鼓動が五月蝿かったからだ。

「いいよ‥‥‥」と雨森の合図が耳をくすぐった。

ノスタルジーな映像に、拳銃を構えた黒服の男たちが現れた。スクリーンに映し出される私の眉間を撃ち抜いたのは、藁に隠れていた階段から伸びた長すぎる手だった!!

我に返った時には遅かったのだろう。目の前で立っていた雨森が、口元を緩めて見つめた。その表情は昔見た彼女ではなかった。

私の知っている雨森とは違う雨森が、見据えていた。突然の出来事に私は驚いて、その場から倒れた。

腐った木片の上に尻もちをついて、階段から伸びる手から間一髪逃れた。

「な、なんだ今のは!?おい、雨森。今の手は!?」と雨森に声をかけた瞬間に絶句した。

振り向いて、こっちを見る目が白目だったからだ。床に倒れる私を見下ろして、片方の口角を釣り上げて微笑んでいる。

その微笑みは、私を心底震えさせる笑みだった。もちろん白目だったということもあるが、倒れ込んだ私を見てから、笑上げる雨森に恐怖したのだ。

夏の日の光景は頭から消えて、現実の世界が圧倒的な威圧感で襲ってくる。

藁の下に、階段があったなんて知らなかった。それはそうだろう。あの頃は床も張っていたし、今みたいに腐っていなかった。

だから気付くわけがない。

「笹岡くん、あの夏の日みたいに私を抱いてよ。欲望のままに私を抱いて頂戴。ねえ、覚えてるでしょう。私の裸に夢中だったじゃない」雨森はそう言って、薄汚れたシャツを脱ぎ捨てた。

「や、やめろよ!!俺は、俺は何も知らなかったんだ」

彼女は白目のまま、上半身を露わにして近づいて来た。私は慌てて身を翻して山小屋から出ようと、必死に床を這うのだった。

恐怖で足腰がうまく動かない。その時、私の足首を掴むものが居た!!振りほどこうと首を捻って足元を見た。

あの階段から、長すぎる手が掴んでいた。山小屋の中に隠れていた階段は三段目辺りしか見えない。その先は真っ暗な闇が続いていた。

闇の中から伸びた二本の手は真っ白で無数の繊維で出来ているような手と腕をしていた。

がっちりと掴んだ手に、わたしは必死になって身体を起こして拳で殴り付けた。

雨森は雨森で、上半身を露わにして近づいて来る。そして必死になっている私の側に寄ると、木綿長のズボンを脱ぎ捨てた。

下着を履いていない下半身も露わになり、雨森のアンダーヘアーが目に映った。

「ねえ、思い出した?私の白いアソコの毛。あの時は、夢中だったから気にしなかった。でもさ、笹岡くんは気付いていたんでしょう。私が雨森じゃないって」彼女はそう言って、白目から黒目がちな瞳に戻して顔を近づけた。

震える私の顔に近寄ると、黒目がちな瞳に私の恐怖する顔が映っていた。夏の思い出は、夏の思い出として少し違っていたんだ。

彼女は雨森であって雨森じゃない。それを知って、私は欲望のままに彼女と寝たんだ。

「どっちだと思ったの?本当はどっちだと思ってたのよ」

「お、俺は、あの時‥‥‥」

それを最後に、私は長すぎる手と共に階段へ引き摺り込まれた!!繊維みたいな手は真っ白な糸になって、私を包んで階段の奥へと運んだ。

視界は塞がれて、真っ暗な闇の中で記憶はなくなった。最後に耳元へ聴こえたのは、雨森の甲高い笑い声だけだった。

雨森を雨宮と間違える私。雨宮を雨森として知っていた私。

そして雨森は、罪を犯して雨宮を山小屋の階段へと引きずり込んだ。

あの夏の日、雨宮は雨森蚕(あまもり・かいこ)という女。雨宮と雨森が似ていることは知っていた。彼女と彼女は生き別れの双子の姉妹だった。

そんな噂を信じた私は、雨宮と雨森を使い分けて付き合っていた。どちらの方にも愛してるなんて、身勝手な言葉を捧げていた。

今思えば、あれは山小屋の階段の先に棲む蟲だったのだろうか。と、真っ暗な闇の中で虚ろな気持ちのまま考えては眠った。

この悲劇は、私のたった一度の過ちから蟲が本気になったのだ。今はそんな風に思う。思っては深い眠りから覚めない自分を哀れに思った。

もしかして、山小屋の階段を降りた先は、何十年と貯蔵された繭が棲んでいるかもしれない。

~おわり~

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