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小説「山小屋の階段を降りた先に棲む蟲〜上〜」

小説「山小屋の階段を降りた先に棲む蟲~上〜」

故郷へ帰郷するのは何十年振りなんだろう。我が故郷は山奥の片田舎にある農家。私はそんな農家を継ぐのが嫌だった。だから、猛勉強をして東京の大学へ入った。

上京して数十年と帰郷することはなかった。月日が経つのはインスタントラーメンが出来上がるぐらい早い。そんな風に思えるぐらい、時の過ぎるのは早いわけである。

今年で四十歳となり、私は母親一人で住む故郷へ帰郷した。畦道を歩いては山々の風景に、少年時代の風景画を重ねた。突き抜けた青空に雲が手を繋ぐように連なっていた。

季節は夏、田んぼは稲の源が朝の朝礼となって植えてある。縦横無尽に小さな虫が、田植えされた真上を飛び交っていた。青空に向かって飛んでは光と同化して消える。

都会の騒がしい車の音がしない。見上げれば、見下すようなビル街も存在していない。あるのは山々が取り囲む静寂な風景だけだった。

削ぎ取ったように、山の一部分だけ木が丸坊主になっていた。昔はそこに小さな集落があったけど、今は跡形もなく無くなっている。

まるで、無駄なものを排除した国の策略にも思えた。

私もそんな国家の策略みたいに、村を捨てた人種だろう。畦道を不安定に歩く様が、そんな風に自分自身を思ったからだ。

畦道から開いた道に出た時、母親が一人で住む家が見え始めた。思いの外、私の家は記憶より小さく感じた。

有り余った土地に建てられた家が、思いの外、小さく感じることに戸惑いと哀しみの情が染み入る。

故郷を、自分勝手に捨てた罪の光景かなと目に映る現実を直視した。

直視した理由は様々な気持ちの現れだったし、こうして逃げないまま帰ってきた証を残そうと、必死だったもしれない。

門構えは変わっていなかったけど、風合いは歳を取るように、それなりの風貌になっていた。これが幼き頃から高校まで住んでいた家なのか?

それとも私の心が、都会という妖に依存性となったのか?玄関の前で溜息をして、引き戸を恐る恐る開ける自分がいた。何を恐れているのかもわかっていない。

私は引き戸を開けっ放しに、その場から立ち去った。決して逃げてないと暗示をかけた。やっぱり、帰るには早かったのかと自問自答している。

自問自答している時点で物悲しくもあった。

来た道を戻っていた。いや、来た道を戻っていることさえも気付いていなかった。無意識に、遠ざけるように家から離れていた。

私は私が捨てた故郷や、母親一人を残した罪の意識を認めていないんだろうか。そう気付いた時、幼き頃から遊んでいた裏山へと足を運んでいた。

『少し時間が必要かもな』と立ち止まっては祈るように呟いた。

「あれ?もしかして笹岡くん」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。田舎の風景がお似合いの女性。そんな風に思ったのは、日焼けした肌に麦わら帽子。

そして、土の付いた木綿長のズボンを履いていたからだ。薄汚れた白シャツが日焼けした肌を同化させる格好だった。田植えをする時の母親の姿にも思えた。

女性は太陽みたいな笑顔で、私の顔を懐かしむ。

「あっ!!もしかして雨宮?」と女性に訊ねる。

「相変わらずね。雨宮じゃないって毎回言ってるでしょう。いつもそうなんだから。私は雨宮って名前じゃないわよ。あ・ま・も・り、雨森です」

「驚いた!!まさか雨森と会うなんて信じられないな。こんな偶然もあるもんだな」と小中高と同じ学校を通っていた同級生に言った。

「笹岡くんが信じようが信じなくても偶然は運命の序章なのよ。それに遠くから見てわかったわ。あの笹岡くんが歩いてるって」

「はは、なんだよそれ。まるで飼い主を見つけた犬みたいだな」

「それさ、私に対して学生時代から言ってるよね。上京したから少しは変わったかと思ったけど違ったみたいね。笹岡くんは、数年前から笹岡くんのままなのね」雨森はそう言って、私に向かって白い歯を見せた。

そんな雨森の表情に、私はあの日の出来事を懐メロみたいな感覚で思い出すのだった。あれは確か、高校の夏休みの出来事。

そう、無意識に向かって歩いていた裏山。私は裏山にある山小屋で初体験をしていた。

その相手は雨森……

「ねえ、久しぶりにさ。裏山へ行かない。って言うか、笹岡くんも行こうとしてたんでしょう」と裏山に続く坂道を見上げた。

「ああ、そうなんだよ。ホントは実家に寄るつもりだったんけど、なんとなく寄り辛くなってな」と理由も言わずに雨森へ言った。

そう言って、山々の緑を見つめては蝉の鳴き声に気がついた。さっきまで聴こえていなかったのに。今になって妙に耳元を騒ぎ出す。

遠くの空に、浮かぶ雲が灰色で静止画となって見えた。そんな私の肩を軽く叩いて、雨森はさっさと裏山への坂道に歩き始めた。

私も後をつけるように、続いて歩くと彼女の背中を見つめるのだった。

〜中〜につづく

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