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合作小説「きっと、天使なのだと思う」

合作小説「きっと、天使なのだと思う」

第9話

「綺麗ね~、テトラ。これ、ビワコって言うんでしょう? 海みたいね」
「そうでございますね、お嬢様。……そして、ご無沙汰しております。雪道様」

その時、聞き覚えのある声が、背後から伝わってきた。ハッと振り返ると、窓から呑気に琵琶湖を眺めているクラリネットと、半分だけ耳を折って会釈するテトラの姿があった。

最後に見たツギハギだらけのぬいぐるみとは違い、確かに白くてふわふわとした可愛らしいウサギの格好をしている。

「テトラ! お嬢様!? 何でここに……?」

「失礼な。雪道。俺もいるぞ」

先ほどから背後で聞こえていた抑揚の無い声と共に、左肩をドンッと押される。姿形は見えないが、この感触は間違いない。アルファベットの手だ。

「ごきげんよう。お元気そうで何よりね」

初めて会った時と同じ格好で、同じ笑みを浮かべると、クラリネットはテトラを抱き上げた。すっぽりと腕の中に納まったテトラは、心地良さそうに目を閉じている。

そして、観覧車の周囲には風船がふわふわと舞い続け、窓を見下ろすと係員だけではなく、数人の子供までもがジッと視線を投げていた。

「綺麗な風船でしょう? 『イロイロ』みたいで素敵かしらと思って、浮かべてみたの。雪道にも食べさせたかったわ」

クラリネットは窓の外を指差しながら無邪気に話す。その間も風船は微妙な距離を保ちながら、ゴンドラと共に頂上を目指して上って行く。

眼下に広がる琵琶湖が、太陽の日差しをキラキラと反射させる光景を見ていると、幼い頃に初めてこの観覧車に乗った時の記憶が蘇ってきた。

「お父さん! 怖い~、僕、落ちひんかなあ」

「はははっ、雪道、大丈夫や。よぉ見てみ。琵琶湖が綺麗やろ? 高いところやと、よぉ見えるやろ? 高宮町は、もっとあっちの方やな。見えるか?」

「え~、お家は見えへんなあ……でも、琵琶湖って、こんなにおっきいんや。なあ、お父さん。また連れてきてくれる?」

「そうやな、また皆で来ような――」

気が付けば、あれから何十年も経ってしまった。家族で観覧車に乗ったのは、あれが最後だったと思う。

翌年、妹が生まれたのだが、その妹が酷い高所恐怖症のため、びわ湖タワーに来ても、観覧車に乗る機会が無くなってしまったのだ。

「ほら、雪道様。ご覧ください、頂上ですよ」

テトラに促され、窓の外を見下ろす。そこに広がるのは広大な琵琶湖と、模型のように小さくなった建物や車だった。

そして、そこには子供の頃に見た物とは違う感覚、感情で故郷を見つめている自分自身がいたのだ。

あの日、この世界へ戻って来ることが出来なかったら、僕はもう、この景色を見ることは二度と無かったのだろう。もしかすると、ロールスロイスが発した風鈴のようなクラクションを耳にした瞬間から、僕は異世界へ迷い込んでいたのかもしれない。

あの時、車内でテトラから手渡された青いワインは、現実世界で僕の生命を繋いでいた薬だったのだろうか。

「……一つ、聞いていいか?」

頂上で風に揺れるゴンドラとシンクロするかのように、僕の心も揺れた。その言葉を聞いたクラリネットとテトラは、黙ったまま僕の方へ顔を向ける。

アルファベットの姿は見えないが、きっと同じく僕の方を向いているのだろう。

「……何で、僕だったんだ? 何で、あの時……僕を選んだんだ……?」

この三人に出会わなければ、僕は間違いなく死んでいたのだろう。あの時、帰宅途中だった僕を轢いて逃走した犯人は未だに見つかっておらず、現場に残された証拠も少ないようで、捜査は行き詰っているようだ。

医師の話では、脳に後遺症が残るかもしれないとのことだったが、幸いにも事故に遭う前と、ほぼ同じ生活が出来るまでに回復している。

「何故……ですか……難しい質問ですね……」

「わからん。気付いたら、クラクションを鳴らしてた」

「そうね。早かったわよね、アルファベット……雪道を見つけた瞬間に、『コイツだ!』ってね……フフッ」

観覧車の椅子に腰掛けながら、三人は思い出話に花を咲かせるかのように笑い出す。正確には、一人と一羽と、一透明人間なのだが……

「でも……」

その時、クラリネットが神妙な面持ちで、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。その様子を、傍らでテトラが見つめる。

「……貴方には、まだやるべきことが残っていると思ったから。あの時、道でトボトボと歩いていた雪道の後ろ姿を見ていると……何だか、切なて……。この人は、まだ後悔している。自分の、今の生き方に……。ね?テトラ、アルファベット」

「作用でございます」

「そうだな。感謝してくれよ、雪道」

まるで、ツンデレ少女のような口調で話すアルファベットを想像すると、僕は思わず口元に笑みを浮かべた。

一体、どんな姿をしているのかは最後までわからないままのようだ。僕に霊感があれば、アルファベットの姿が見えたのかもしれない。

第10話に続く……

次回最終回!!

葉桜色人×有馬晴希

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