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にがい飴とあまい鞭

気味のわるい悪夢を見ながら目が覚めた。自分の家でおかしな事が起こっている(と私が思った)のに、自分の話が家族のだれにも、ひとつも通じなくて、あきらめてひとりで狭い空間を逃げ回る夢。おそろしかったな、、

どこに何回書いたかわからないけれど、ずっとトラウマなのかもしれない、家族のことって。自分の軸にちかいから。大人になってから距離をとれるようになったけど、小さいころから 一緒にいるのが苦痛な時間は多かった気がする。わたしは両親の、初めての子育ての相手だったし、行きたいところへ行かせてくれて、大体なんでも買ってもらえて、ある意味不自由なく育ててもらって、だから責めるつもりもないし、でもここまで生きてきて、ある意味では不自由だったなと思うし、結構ふしぎな関係が出来上がったものだなぁと思う。家族ってこわいね。唯一 母とはときどき話がしたくなって顔を見に帰ったりするけれど、のこった関わりってそのくらい。だから、血の繋がりこそが大事!とはまったく思わない。

小さいときの、楽しくて良い思い出もたくさんあるから、未だに切なく思ってしまうのかも。話のできない夢を見たこと、目が覚めても変わらない関係。自分の意見を言わずいいなりになっていれば親に気分を損ねられることは少なかったし、用意してくれたプレゼントは大体嬉しかった。ドメスティックバイオレンスから離れきれないのと似ているかもしれない。でもやっぱり、子育てとか人と人との関わりに正解がなかったとしても、私が見てきたあれはモラルとか心理的なハラスメント、それとか精神的DVに近いものだったように思うし、限りなく間違いに近い方法だったと感じている。ぜんぶ一色、一緒くたにされていたけれど「それとこれとは別」という場面は存在するし、度を越えた飴と鞭みたいに、バランスを取るものじゃないんじゃないかな。なんとも歪だ(った)な。

私が自分の意見を口に出さない、いわゆるただのおとなしい子 ってことを親に心配されていた時期もあった気がするけれど、その理由ってそこにあったのでは。そうしていれば一番、波風たたなかったんじゃないか。子供にとって居場所の確保は死活問題だから。大人になって、社会に出て、ちょっと歩み寄ろうかなと試みたことも何度かあったけど、結果は得られなかったし、こころは重くなって、何度目の、それ由来の悪夢も見る。どちら側も生きているうちに諦めるのって、チャンスはありそうに感じてしまうからかなしいけど、こちら側からだけ働きかけたって、無理なことは無理なんだなぁって思う。だからもう、切ないけどべつに良い。

日常でも、街中でも、映画でも。こういう関係いいなあ って、思わされる、思われる、思える、思う、瞬間ってある。それは家族だけじゃなくて、恋人だったり、友達だったり、なにかを一緒にする仲間だったりする。フィクションのキラキラ。さいきん見たドラマの中で、私のある経験とすごく似たような問題が起こった。ドラマはまだつづいていて、たぶんこの先、その両方の気持ちを描きながら、ドラマチックな解決に繋がっていくんだろうと思う。私の人生ではそうできなかったけれど、似てるなぁって思いながら、見届けられる。

いいなあって思うことと、自分もそうしたい、そうありたい、同じものが欲しいって思うことって、必ずしも繋がらない。それに、まったく同じ色の関係ってどこにもないんだろうな。よくもわるくも、自分が持っているものはいつでも、唯一無二だな。持たされたものも、持ってきてしまったものも、たぶん、そんな風に言えちゃうでしょ。かなしいしうれしい。

世の中にはいろんな場面があって。そこに、その内側や繋がりを想像することとか、あこがれたりする気もちとか、自分ならどうするかなとか、なにかできるかなとか、いいな、いやだな、、、いろいろな気分が渦巻いているのがじぶんの生活。なにに気をとられて、なにを大切にしたくて、なにをしようか、そうやっていつも忙しい。きっと、いつもだれにも、似たような心の動きはあると思う。そうしたくてそうしている、その反対、したくてもできない、したくないのにできてしまう、こと、もの。きりがなくて、途中でやめるしかない。いつも枝分かれの先を追いきれないでいる。

「困った子は困っている子」ということばがある。むかしのわたしにも当てはまったかもしれないし、大人同士でもそんな印象を持つことはあるかもしれない。問題行動の背景にある問題のこと。だれにも導けない答えのこと。大なり小なりだれも問題を抱えている。そんな存在同士が出会えばまた、枝葉はいろんな色にひろがる。

自分がゆるせないことと、だれから見てもゆるされないこと、そこに含まれない範疇で、ちょっと想像をしたり、物語をつくったりする。そこにいたから触れた宝物のこと。そうじゃなかったら見られなかった虹のこと。もうけがをしないくらいの距離をとって、そうやってがんばって、根深い歪さもちょっと好きになれたらな。

関係性ってたぶん死ぬまで切ないし、この先もなやんでゆくことなのかも。時間はもどらないし、してしまったことも、してきたことも消えない。されたことも、してもらったことも消えない。裏表の気もちの共存。横並びの言い分の差。上下の階層の色ちがい。そうやって出会ってきた、反省とか後悔とか希望が想像の中で光れたら、そろそろ..おだやかな無害になってみたい。

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