見出し画像

こころみつづける

記憶のなかのどの時代にも、私は家族とうまくいっている自覚のある事ってなかったな。うまくいってない っていう感覚を持つようになったのは大人になってからだと思うけど。家族だから許されること、許されないこと、って 例えばどんなことだっただろうか、ふしぎ。お金や時間は膨大に使ってもらったけど、心は向けてもらえなかった感覚がある。子どもにはどうにもできないことで、ときに育ってなにか変えたいと動いたところで、そんな小さい力で動かせるものなんてほとんどなくて、小さいときに気がついた綻びを直せないまま、直してもらえないまま、自分のなかでそれが歪みになって、暗黒だった。思い返すたび、いい思い出をぐるりと覆うように暗い気もちがいつもある(いい思い出、それはそれでたくさんある)

どんな関係性でも、年齢が同じでも違っても、遠くても近くても、相手が人間であることには代わりないといまなら思うのにな。そうだったなら、そうなのだから、適当じゃないふるまいってあるし、たりない頭で考えて、それなりに戦ってきたけど、得られたものはなかった

一般的に語られるような家族愛みたいな、特別に気もちを持つ相手はほとんどいない。だから血の繋がりとか、目の前にいない見えない人の話とかにはほとんど興味がない。よくもわるくも、自分の育った時間は一般的になにかに描かれたり、想像されるようなパターンの環境じゃなかったといまなら思う。ドラマならこういう形態でも光が描かれるかもしれないけど。ノンフィクションの環境に光を灯すのって本当にむつかしい

家族だって、よくもわるくも他人なのにさ、コントロールできるわけがなくて、それでも衝突したときにはある程度のやり方が世の中には存在しているはずで、だけどあの空間は、そういった出来事を独自のとんでもないルールに乗せて、ふしぎな力でぐにゃりと曲げていった。わたしにはどうすることもできなかった。小さい頃から持っていた違和感はつのって、とっくにコップからこぼれていて、片付けることはあきらめた

そういうことを書きたくなったのは、今週 ひとりで暮らす私の部屋に母が転がり込んできたから。理由をきくとなんか切なくて、でもわたしにずうっと前から見えていた景色にも似てた。1日だけ泊まって、あっという間に自分の家へ帰った母のことを心配している。家族のなかで唯一がまんするタイプの人だから、だれにもなんにも表さないで、そうやってきたようにまた、そうやっていくんだろう

不憫で遣りきれなくてなにもできない自分も嫌で、でも実際どうすることもできなくて 悲しい気もちを悲しいまま受け止める。母とは対話をする。こういう気もちも言葉にして話してみていた。家族とよばれるくくりの、わたしは仲良くなりたかった人のこと。なれなかったけど、後悔のないように生きていたならいいな、と思う。相手側ものぞまないと関係性は成り立たない。一方通行の気もちは遠いむかしに置いてきたし、たぶんこの先もほとんど交わらないけど、そのこと自体は悲しくはなくて、ただちょっとざんねん。よい関係を築いている人のことを羨ましく思うわけでもなくて、それはただすてきなことで、自分はそうじゃなかったというだけ、ちょっとざんねん

中身のともなわない事実だけがぼんやり存在している。でも、これはたとえば父親が望んでいたかたちでもあると思う。子供心に 人としてまず守るべきと思えていたこと、それを一緒に守れないまま、外側の事実ばかり大事にして見えた。"家族なんだから"、"姉なんだから"、とかそういうの。挨拶やけじめや、対人間のマナー。相手の気もちを考えること、どんな意見でも遮らずに耳を傾けること、人をわるく言わないこと、差別をしないこと。そういう事をお互いがまもりながら組み立てた関係性ならば、むりをしないでもきっといい形になれたと思うんだよ。表面だけ整えたって、生きものなんだからさ。わたしが、「人は望むように生きられる」って思ったのは、父を見てたからだった気がするよ

まあ、ふっと皮肉がいくつか浮かんでしまうくらい、ちぐはぐで歪だった、思い出のなかのあれこれ。記憶のなかの あの言葉の意味が 今ならばわかったり、今でもやっぱりわからなかったり、思い返すとき フィルターが増えてちがう色で見られるようになったり、そのときの心がいろんな考えを聞こえるような気にさせたりする。手にいれてきた思い出が、その入れ物のわたしの存在になにか働きかけることがある。思い出した外側で かなしく、うれしくなるだけのことだってある。由来の、最初のきっかけは思い出せないけど、しんどいけれど、ここにあるその全部で自分なんだなぁって ふわふわした頭で思う

そんな現状があったって、生活はつづくし、ここからは動けないし、離れられないのだな。どういう繋がりをもった相手でも自分以外は結局他人だけれど、遠くの、近くの、そのだれかを傷つけるってことは自分のことを傷つけるのとほとんど同じ。そういうことを早くに覚えたかった。気づくのがとても遅くなってしまった。身近な人もそうだったから。自分はどうなってもよかったし、まわりの人のこともそうだった。実際思っていたわけではないけど、たぶんそんなふうに生きていた。思っていることはなにかで表さないと伝わらないし自分ですら気づけないのにさ。そしていまもあの人たちはそんなふうに生きているように見える。わたしの目が悪いだけかもしれないから、意見をすることはもうしない

生活はおおごとだし、生きるのはたいへん。刃物を手に持ったとき、ベランダから路上を見下ろすとき、いつも胸がぎゅっとなってしまうくらいこわい。自分の意思はおいておいて、いつだってしんでしまえるその事実を隣に並べて、未来や問題や環境や人間へ向かう日常が、しぬまで続くなんて。

言葉にしない瞬間は、言葉にしている瞬間ほど意識せずに生きている。言葉にしてもしなくても、そこにあることや、ないこと。自分の世界は見たいように見える、つくりあげる

あしたもわたしは目を覚まして、窓を開けて、お弁当をつくって、生きるをする。こんな思いを持っていようと、そうじゃなかったとしても、べつに大きくは変わらない。思い立ったときにはいつもできることをしたし、これ以上に「ああしていたらなぁ」は存在しないから。言わないだけで、どんな人にも、たぶん内側にはいろんなどうしようもなさがあるから

だれかと考えながら、関わり合いながら、出会ったり別れたりしながらただ自分の生活をつづけていく。未体験の日をいつもどおりに、悲しくて、たのしくて、しあわせに過ごす、こころみ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?