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ゆっくりまわるストロングベリーの海

いくつか残っているnoteの下書きを読み返してた。1年以上前のものもあった。なんでもをぽん、ぽん、と投稿しているわけでは無かったんだな。一応、ひとつにまとまったとか、書き上がった、と感じたりしてやっていたことだったんだろう、もう覚えてないじぶんのこと。

また新しい年がやってきた。初夢は「ザ・脳内整理」みたいな、思い返せばここ数日あたまに残っていたんだろうモチーフや言葉や愚痴などが混ざりに混ざって、ひとつのストーリーに化けたみたいな、ふしぎな夢だった。面白くはなかったけど、ちょっとスイミーみたい!

年末年始も、ささやかな集まりを除いてはしずかに自分の家で過ごした。たのしかったな、お休みってあっという間だ。クリスマスあとから年末にかけての特別感も好きだけれど、わたしは11月からクリスマスまでが1年で一番すき。ツリーやトナカイのかざりもなかなか仕舞えないし、大晦日にだって例年クリスマスソングを弾いている。なんとなく 年末年始、世界の空気と一緒に盛り上がったり、わかりやすくそれを追いかけたりするのは苦手かもしれない。テレビ番組も歌で合戦してるのもそんなに好きになれなくて、実家へ帰ったならそういうものに触らなければいけないのも息苦しくて、結局じぶんと、じぶんだけと過ごすのが丁度いいなって思った。いつからかそんなことがハッキリと分かってきて、安心はなにより大切で、だからまた、こんなふうに日付も時間も年齢も意識しないで、数字に関係なく、たのしくおだやかに過ごせる時間が持てたらいいなと思う。どんなことからも数センチ離れているかんじでも、今年も、そこから見える喜びで生きたいなぁ。

何もかもわからないし言い切れないことが私には平常だけれど、どこかで時間や感覚が重なって人と通じたとき、響いたときに光る色があって、交流のあたたかさってその色彩。「うしなわれた2年、感」はあるなと感じているけど、でも、この世界ならではの新しい光もあったはず。なくしてばっかりだな、とだけ思うのは辛いから、世の中に抵抗するみたいに、前よりもっと、ちゃんと日日をなにかに残したく思ってきた。残すって、かたちあるものを作っていくという意味だけじゃなくて、目の前の一瞬に誠実に向き合っていくということでもあるかもしれない。そうやって連なった先にその日の自分と世界があるはずで、確実にきょうの日も大きく小さく関わっていくだろうと思うから。いつでも、いままで知らなかったことにだって触れたいし、なくしたものは戻らなくても、取り戻すみたいに前向きな気分を作っていけたらそれはたぶん、いつかの何かの力になる。過去にも未来にも、そうやってなにか残していける気がしている。

うしなわれた時間だって言いきってしまえないように、いろんなことをがんばったと思う。わたしだけじゃなくたぶんみんな。いつもどおりに全員の方法も思いも違って、わかりやすい断絶も生まれたけど、それでもがんばってきた。結果がでなかったり、にがい結末を迎えたりした事だってあるけれど、それすらがんばった結果であると思う。去年もいろんな出来事に打ちのめされたし、いいこともわるいこともあった。そのあとでやってきた今日を、ちゃんと認めたいわたしがいる。  

年を重ねることだけで育まれるものなんてほとんどないねって、歴史にも、じぶんにも、他人にも思う、そういう時間が多かった。進まないように見える世界にいたって、じぶんもまわりの人も年を重ねたけれど、それと似て、ただ年を重ねることを 大人になって成長しているように捉えていたって、動かすべき内側の課題が手付かずで放置されたままなら、それはその場で時が止まってしまっているようなものなのかなって感じる。

育成支援の仕事とそれについての勉強をしながら、自分の居た、見た環境についていろんな疑問とか違和感を持ちはじめて、ふくらみつづけたこの数年だった。人間がそだってゆくのって大変なこと。そこに力を添えるのには結構な責任をともなうし、命を守るってことを考えると、じぶんひとりで精一杯になってしまいそうな事実が恐ろしい。いろんな家庭があって、その数ぶん大きく小さく問題があって、家族のかたちは無限に存在していて。ひとりの人間として、人間の先輩として、そこに関わるのって果てしなく難しい仕事なんだな。

生きてゆくなかでどうしたって、なにか間違ったりだれかに迷惑をかけたりしてしまうけれど、沸き上がった苛立ちをただ乱暴にぶつけないで、そういうことに気づいてやわらかくなれたら。居たところが 得たものがちがっても、無闇に人を捩じ伏せないで、せめて想像で寄り添えたら。じぶんのことも、だれかのこともゆるしながら、それぞれができるだけ傷つかないで適度な距離で関わって、それぞれのよい方向へ向かってゆけたらさ、なんていつもぼんやり思っている。がんばってもかなわないこともあるし、いつも全員が報われている世界なんて見たことないけど、どうしたってだめな事からは離れてしまって、なにがなんでも、心とからだがこわれないように、逃げたり、変わったり、そうしたっていい。できるはず。常に時間は進んでいて、いまの最新はふるくなっていくし、思い出は遠ざかる。正しさも時には変わって、世の中はくるくる、ドラマがはじまっては終わって、季節をまわって、わたしたちはどこかで生き終えるまで、だれかの生きた年を越えてゆく。

新しいところにいってみたい、希望しかない1月のはじまり。働くために生きたくはないけど、生きるために働きたいとは思う。"働く"も"生きる"も大きな意味。別れとは知らないまま別れがたくさん起こる生活のなかで、気もちの準備をできるお別れを用意することも時々ある。そんな、じぶんで切り開く春、みたいな気分。そのあとにまた出会っていける人やものごと。こわくてたのしみ。ふつう、っていろいろあるし、多数派がいつも正しいわけじゃないし、そこらじゅうにあるむつかしい問題に気づくほど生きづらくもなるけど、それでも忘れられない嬉しさとか、死ぬまで出会っていけるたのしみがあると思っていたい。だからいつまでも、つらくても、躍るみたいに過ごしたいな。新年の所感、そんなところ。

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