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6月のおてがみ

こんばんは。もうすぐで6月がおわるね。

夜の窓辺で、風が近くを出入りしていてもじんわり汗ばむ。汗ばむの「ばむ」ってなんだろう。バウムクーヘンがたべたくなっちゃう。

手話の勉強を始めました。わたし自身が「勉強」と言うひびきから想像できるほど熱心に取り組んではいないけれど、手と体の動き、そして表情、それだけをつかった声のない言語に前からすこし興味があった。"いま手話ができればよかったな"という経験は1度だけあって、それっきりの事がとても濃い。

ここ数年週末に楽しくやっていたバンドとかライブ活動が去年の春からほとんどなくなって、絵の制作とかゲームとか、そのほかのいろんなひとりの趣味が育ってきた。そんな去年の6月、新しい楽器をさわってみようとバイオリンを買ったように、今年は新しい言語を知ってみようと手話の本を買った。そういうかんじ。去年から1年が経って、弾けなかったバイオリンを弾けるようになった。今年から1年が経ったころには、知らなかった手話をもっと知れていると思う。くるしくてつらい人生、でも楽しみを用意するのは得意。大事。最優先。

そういえば今年の春はひさしぶりに演奏依頼を頂いて、ほんとに楽しかったな。いい匂いのきらきらしたお店で、いろんな人と笑って過ごせた。またみんなで弾けたらいいなぁ、とは思う。ひとりでも弾けるけど、アンサンブルが楽しくて続けてたから。でもまだしばらく、イベントもマルシェも元のようには開けないと思うし、その間に気もちや生活や向き合い方の変わる仲間だっていると思う。だから、これまでとても楽しかったそのシーズンに、リボンを掛けて大事に仕舞ってる。

できる事にしたい事、ゆるされるだけ、ずっと気の向くまま、飽きるまでしていたいな。大人って自由だ。さみしいとか言いながら、それでも離れられる。さみしいから一緒にいる、それでもいいのだし。たのしいから続けて、たのしいけどやめて、どんな風に過ごしてもそうやって時間が流れていく。好きなことは沢山あって、他にもきっとまだ見つけられると思う。時間に限りはあるけど、あるからこそ、なにとどんな風に仲良くなって、ならないでいるか、なんでもありだ。

どんなに暑くなる季節を前にしても感傷はなくならない自分のまま、今年の夏に向かう。いつまでこうしていられるかな、この場所まで持ってきた気分を自由に取り出して何度でも悲しくなってしまうけど、それは悲しいことじゃないような気がする。


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