私と過敏性腸症候群ガス型⑵


私は、今年で過敏性腸症候群ガス型を発症して
約13年目を迎えようとしている

最初の頃とは、考え方もそうだが、

症状もかなり軽くなったので

参考になるか分からないが、書いていこうと思う



⑴でも書いた通り

12歳の9月末に過敏性腸症候群ガス型を発症

原因は、新しい環境とそれ以前から積み重なっていた精神的ストレスだと思っている

12歳、少しずつ仲の良いと思っていた友人が

周りが私を避け出しているのを見て離れていった

あからさまに私の机を運ばない 菌扱い は

何回か受けていた

臭いだけなら悪口と判断していないが、

臭いから始まり次第には、外見のことも言われた

この頃から16歳まで続いた

幸い、違う理由で保健室登校していた1人と

仲良くなったので、完全に1人ではなかった

が、友人にも症状については怖くて恥ずかしくて話せなかった

冬頃には

ちょっとずつでしか学校へ行けなくなった

家族とも学校が行けなくなり、よく衝突してた

この時点で自分で調べて、

過敏性だと確信があったが、

病院に行くにも家族に話さなければいけない

話す勇気が出来るまで時間も掛かった

ようやく話せて病院へ連れて行ってもらうが

そこは、何故か皮膚科と精神科

(母からしたら、
臭ってないのにという思いもあったんだと思う)

皮膚科の医師に自分は無意識に臭い漏れるんだと

涙ながらに話し、体をニオがれ、大丈夫ですよ

と言われる(思い出すだけでも嫌な診察だった)

納得出来ない私を次は精神科へ母は連れて行った

そこで自己臭症と診断を受けるが、

医師との話に納得いかず、

家族へ対して、やっぱり理解してくれないんだと

ここで更に壁を作ってしまった

【※自己臭症の症状も実際には発症しているので、誤診ではなかった】

中学2年生に上がる頃には、

学校側に対して、

教室へ入りたくない、行きたくない

別室対応を何度頼んでもダメで

そのまま、2年生を迎えた

毎日のように朝起きるけど、行くのが辛かった

勇気を振り絞って行く頃には、

終わりの会だったこともあった

過敏性を発症してからは、

よく授業中に当然泣き出すこともあった

臭いを消す為に、あり得ないぐらい消臭スプレーを自分に撒いたり、食事を減らせば、症状が軽くなるんじゃないか!と安易な考えで減らしたり、思いついたことは、全部試した

勿論、上手くいくこともなく、

挫折を繰り返していた

(今のようにネットも普及していない時代だったので、完治する情報を得るのも、症状について知ることも難しかった)

そんな不安定な私を見かねて、

新しく担任になった先生は

授業の空いた時間で、

私を毎日にように

自宅に迎えに来てくれた

が、当時の私は勿論先生のそんな気持ちすら

理解しようとしなかった

何より学校という症状が悪化する場所に

行きたくない、行っても反抗もしてた

そんな思春期真っ只中の中学2年生 

恋愛にも興味津々

初めてお付き合いも経験したり、

友人のお陰で、学校行事にも参加出来た事もあった

学生らしい経験も少し出来た

それには、本当に感謝している

2年生は、行ったり行かなかったり、遅刻したり

完全な不登校ではなかった

3年生 

心の支えでもあった仲の良かった友人と

クラスが離れて、1年生の頃からイヤな記憶がある男子数人とクラスが一緒になった

クラス発表で、ショックと拒否が大きかった私は

その日は大号泣で教室前で行かない入らない

別室にしてくれと担任へ頼み込みました

後日、母とも話し、クラスに1度も入らないまま

別室登校になった


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